NHKの九州地方番組「九州沖縄スペシャル・ただいま」は、武田鉄也を案内役にして、九州出身の有名人の故郷を訪ねる番組である。今週は、熊本出身の財津一郎氏、「キビシィ~」を連発したコメディアンから変身し、ミュージカル俳優、バイプレーヤーと活躍の場は広い。元々は阿蘇の地主の家の出だというが、推察するところ代々「阿蘇組支配」を仰せつかった財津氏であろう。「武家家伝」にも登場する名門である。「侍帳」に登場する財津家は14家ほどある。主だった家の代々の当主の名前に「永」の字が見えるが、一郎氏も本名は「永栄(ナガエ)氏」である。農地解放で沢山の農地を失い、残った四反五畝の田圃を守るべく母君と二人、阿蘇役犬原で稲作に励んだという。周辺にあるご先祖のお墓は、財津家の出自を伺わせる古いものだ。熊本のお屋敷は熊本城近くの京町にあった。そこから、名門済々黌に通い音楽の世界に没頭していった。其の後の活躍はご存知の通りである。故郷を思う一郎氏のその面差しは、「キビシィ~」世界で功なり名を遂げた人の穏やかさに満ち溢れていた。
寛永八年の天変地異や不思議な現象は、三月の浅間山の噴火をスタートとしている。此の年は豊臣秀頼の17回忌に当たると共に、「関ヶ原戦の時は大噴火」の時や「松平忠直の時は小噴火」があって、今回の噴火や、後のいろいろな不可思議な現象は忠長のご乱行のせいだとばかりに噂している。
細川家史料から
4/24書状・・加藤義嘉領内で「鳥ニ三万集り、くい合、數もなく(無数)死申由」
4/28書状・・各地冷気、江戸旱天鐖饉たるべきか、有明の月・月蝕等
5/15書状・・遠江佐野郡に糖がふる
4/8江戸雷雨、大霰、狐・狸・とひ・からす數もなく(無数)に死
霰大きさ一尺五寸(45㎝)、怪我人も出る
鎌倉沖で竜巻、舟十艘を巻き上げ
鎌倉大霰、家を貫き死傷者でる
木曽飛騨山火事・増上寺塔火事
5/24書状・・江戸にも砂糖様のもの降る
信濃松本、山二つ分の大木のほとんどが捻じ切られる。雨が降ると百姓屋が
青く燃える
越後村上城下大火(300軒)、出羽山形城下大火(570~580)・出羽上山城
下(4・500軒)、尾張名古屋城諸方より出火
川中島あたりに大霰降る
6/8書状・・江戸寒冷
7/6書状・・中津にも甘き雨降る
10/2書状・・京都の大風、永荒廿七・八万石、死者一万ニ・三千人
天変地異や息・忠長のご乱行が秀忠を苦しめた。翌寛永九年一月二四日死去。
忠長は新将軍・兄家光の沙汰により改易、高野に逼塞、翌十年自害した。
忠長は生母お江与の伯父・織田信長によく似ていたと伝えられ、それが故にお江与が溺愛したとも伝えられる。
細川家史料から
4/24書状・・加藤義嘉領内で「鳥ニ三万集り、くい合、數もなく(無数)死申由」
4/28書状・・各地冷気、江戸旱天鐖饉たるべきか、有明の月・月蝕等
5/15書状・・遠江佐野郡に糖がふる
4/8江戸雷雨、大霰、狐・狸・とひ・からす數もなく(無数)に死
霰大きさ一尺五寸(45㎝)、怪我人も出る
鎌倉沖で竜巻、舟十艘を巻き上げ
鎌倉大霰、家を貫き死傷者でる
木曽飛騨山火事・増上寺塔火事
5/24書状・・江戸にも砂糖様のもの降る
信濃松本、山二つ分の大木のほとんどが捻じ切られる。雨が降ると百姓屋が
青く燃える
越後村上城下大火(300軒)、出羽山形城下大火(570~580)・出羽上山城
下(4・500軒)、尾張名古屋城諸方より出火
川中島あたりに大霰降る
6/8書状・・江戸寒冷
7/6書状・・中津にも甘き雨降る
10/2書状・・京都の大風、永荒廿七・八万石、死者一万ニ・三千人
天変地異や息・忠長のご乱行が秀忠を苦しめた。翌寛永九年一月二四日死去。
忠長は新将軍・兄家光の沙汰により改易、高野に逼塞、翌十年自害した。
忠長は生母お江与の伯父・織田信長によく似ていたと伝えられ、それが故にお江与が溺愛したとも伝えられる。
一時期江戸で辻切りが横行したことが、度々三齋や忠利の文書に表れる。当然ご法度のことだから、見つけたら切り捨てても良い事になっていた。ところが「殺さずに捕らえよ」という達しが出たようだ。寛永八年三月の忠利書状(案)によると「此前辻伐御法度之時、悪黨當座ニきりころさす、とらへ候へとの事、御不審被成候つる、如御意今存當り申候、大納言殿切々辻伐も被成候由候事」とある。「そうか、度々の辻伐は大納言(忠長)の仕業だったのだ、それで合点がいった」という訳である。此の年将軍秀忠は、息・忠長の悪行に心を痛めて病がちである。2/12・2/18書状にも忠長の側近手討ちの情報が記されており、秀忠はといえば忠長乱心に備え二の丸の警護を120騎で固める事にしたという。3/11書状は、「禿ヲ唐犬ニ喰ワス」「女ヲ酒ニテ責殺ス」等を伝え、秀忠の病状は悪化し、3/21書状によると、遂には秀忠が「忠長の処分」を心決めしていく事になる。
此の年は豊臣秀頼の十七回忌に当たるが、各地で天変地異や異常現象が多く見られ、その故かと噂が飛び交ったという。
此の年は豊臣秀頼の十七回忌に当たるが、各地で天変地異や異常現象が多く見られ、その故かと噂が飛び交ったという。
祝・南極点到達
女性で初めて南極点に到達した續素美代さん(40)は、熊本(玉東町)出身の方だが地元は大喜びのようだ。と言っても彼女の企てを事前に承知していた人は殆ど居なかったらしい。クラスメイトが、同窓会だかクラス会だかの案内で電話連絡をしたら、「其の頃は南極にいるわ」との返事に驚いたという。
私は勝手に、彼女のご先祖様は、細川家家臣續氏であろうと思い込んでいる。續氏のご先祖亀助重政は、命を受け丹後に於いて某を攻めるが、その素早さは後に続くものがなかったといわれる。その故をもって姓を「續」としたと先祖附は記している。
さて、女性で南極点を目指す人が出てくるだろうか。続く人はいない気がする。
女性で初めて南極点に到達した續素美代さん(40)は、熊本(玉東町)出身の方だが地元は大喜びのようだ。と言っても彼女の企てを事前に承知していた人は殆ど居なかったらしい。クラスメイトが、同窓会だかクラス会だかの案内で電話連絡をしたら、「其の頃は南極にいるわ」との返事に驚いたという。
私は勝手に、彼女のご先祖様は、細川家家臣續氏であろうと思い込んでいる。續氏のご先祖亀助重政は、命を受け丹後に於いて某を攻めるが、その素早さは後に続くものがなかったといわれる。その故をもって姓を「續」としたと先祖附は記している。
さて、女性で南極点を目指す人が出てくるだろうか。続く人はいない気がする。