津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

阿部一族の屋敷

2008-01-19 14:30:29 | 歴史
 阿部一族の誅伐事件は、森鷗外の「阿部一族」でご承知の通りだが、鷗外はその屋敷が何所にあったのかは承知していない。その屋敷跡を確定したのは、作家にして郷土史家の荒木精之氏である。肥後銀行本店の裏手、現在は熊本放送(RKK)本社ビルがある場所である。綿孝輯録(巻60)の同事件に関する記述の中に、そのヒントがある。「一書、阿部屋敷は山崎の今は齋藤勘助屋敷、栖本ハ今の有吉専助屋敷、山中は今の鯛瀬三郎太郎屋敷なり、又一書に、向屋敷は山中又右衛門、両隣は栖本又七郎・外山源左衛門祖父平野三郎兵衛屋敷と云々、又一書、南西隣は栖本又七郎、北隣は山中又兵衛、向屋敷は外山源左衛門・平野三郎兵衛と云々」とある。ならば、山崎町の齋藤勘助屋敷とか、有吉専助屋敷が何所にあったのかが分かれば、至極簡単に判明する事であるが、現在は「新熊本市史・別録第一巻--絵図地図-上」に「山崎之絵図」として掲載されていて、荒木先生のご苦労は何であったのかと思わせる。花畑御屋敷から南に真っ直ぐ走る道筋は、殆ど変わっていない。暖かくなったら、「山崎之絵図」一枚をコピーして、約120軒ほどの屋敷跡を廻ってみようかと考えている。
コメント (2)
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