津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

危し・・政令指定都市

2009-04-13 08:56:12 | 熊本
 熊本市の隣町・益城町で昨日、政令指定都市合併に向けての賛否を問う住民投票が行われた。結果は意外な大差で「否」・・・。今日は新聞の休刊日、大変気になっていたのでインターネットで調べるとこの有り様、期限は二年を切った(21年3月)と言うのに、先行き暗雲が漂ってきた。植木町や城南町との合併協議会が設けられているが、役場や議会は兎も角、肝心の住民があまり乗り気でないのが気にかかる。道州制などが検討されていく将来を見据えて、なんとか政令指定都市になっておきたい熊本市だが、若い市長の苦労が続く。自民党を飛び出して市長になって、孤立無援気味の政治状況もあるようだ。あと弐万数千の数合わせと思ってはいけない。将来の夢のある展望を、誠心誠意伝えていく努力が今求められている。

http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/content/web/asp/kiji_detail.asp?LS=109&ID=5103&pg=1&sort=0
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細川家家臣・中瀬氏 (二)

2009-04-13 08:06:18 | 歴史
 「肥後藩主要系図」から、女系の姻戚関係を調べている。家老有吉家では英貴が兄・興道の跡をつぎ四代目当主となっている。興道の息に英貴女が嫁いで五代目となる。一方英貴の息英安は26歳の若さで亡くなった為、姉(大木兼憲室)の二男を養子として有吉分家(英貴流)の初代となる。二代目は嫡子・直春、その娘が中瀬助之進に嫁いだ。

豊臣秀吉が藤吉郎時代に、初めて仕えたのが松下嘉兵衛(後、石見守之綱、遠江久野1万6000石)である。細川家と親交が深かった柳生宗則の正室は、松下之綱女である。
    ja.wikipedia.org/wiki/松下之綱
その曾孫・中瀬助九郎豊長が細川家に仕えた(初代)。その三代目が助之進である。
    比着座 千弐百石 宝暦二年申二月廿七日
    寛延元年七月(廿挺頭)~宝暦二年二月(免)

昨晩上妻文庫の目録を見ていたら、「中瀬家伝略」なる文書があることに気付いた。何が書かれてあるのか、又図書館へ行く用事が増えた。
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