肥後六花—4 「花とモッコス」 文・占部良彦
熊本の花物語に「モッコス」の話は欠かせない。花には必ず作る人の正確が出てくるものだといわれるが、肥後の花の場合はまた格別である。いま熊本に来ても、六花の群落はどこにも見ることは出来ない。それは熊本の風土に自生したものではないからだ。六花は肥後人が作り出した「人工の花」、ある意味では実験室に咲いた花といえるかも知れない。
肥後六花は、武士の花連という最も閉鎖的なサークルの中から生まれた。肥後細川藩は徳川の幕藩体制の中でも、朱子学と武士道を軸に無類の規律と結束を誇ったところ。肥後の花連発足のかげには、この息のつまるような空気の中で、細川武士たちがそのうっ屈した心のはけ口を花つくりに託したと見られるフシも多い。これにモッコスの語に代表されるような熊本人持ち前のいっこうさが輪をかけて、特異な六花の原形を生み出したと考えることができる。
これが一番よく出ているのが、異常なまでの花の芯への執着だ。六花は大きな花芯を共通の特徴にしている。梅芯のように豊かに盛りあがったツバキ、シャクヤク、キク、サザンカ。雄しべが天にきつ立するようなハナショウブ。そのあまりの大きさに「バケモノの花」と評する人もいるくらい。これを花の立場からいえば、数世代にまたがるモッコスたちのゴリ押しに根負けした形、あるいは「花のモルモット」の心境だったかもしれぬ。
モッコスとは単純にいえばヘンクツ者のことだが、その含む意味は広くなかなかデリケートのようだ。一方では気骨者の市政も示し、ほめ言葉にも悪口にも使われる。それを正負の両面にわけて、負の面でとらえれば愚直、窮屈、潔癖などの語があたる。だが、これらの性格は後進的な士族意識や保守的な農民意識が支配的な農業県にありがちで、また熊本人すべてがそうだというわけでもない。
ここから、熊本人の性格の特色は、モッコスそれ自身にあるというより、むしろ、おなじ条件でどこにもあり得る頑固な変わり者を、モッコスというユーモラスなイメージでとらえようとする態度にある(渡辺京二著「熊本賢人」)、とする見方も出てくる。
一方、正の面でとらえれば自分にも他人にもきびしい批評的な気質、「我が道を行く」独立独行の精神がある。花つくりに見られるいっこくさも、このように屈折しながらも筋を通すモッコスの心の中から埋めれたと考える事ができるだろう。
「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する国民が、一方では美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす」----アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが日本文化の形を論じた「菊と刀」の中でこう書いている。日本人の中には軍国主義と唯美主義、尊大さと礼儀正しさ、がんこと順応性が同居し、これらすべての矛盾が日本に関する書物のタテ糸とヨコ糸になるともいっている。
ベネディクトは「刀も菊もひとつの絵の部分である」というが、熊本にあっても「花と刀」は同じ絵の中に同居する。このように両極に走る心のブレに熊本の近世史、その花の文化史のアヤを解く一つのカギがあると、熊本大の森田誠一教授(日本近代史)は指摘している。その主役がモッコスなのだ。
そのモッコスはどのようにして生まれて来たのだろうか。熊本人ほんらいの気質にその素地があるし、細川重賢によって固められた熊本藩の鉄の規律と熊本盆地特有の異常気象が、これに拍車をかけたと見てよいのではなかろうかと、森田教授はいう。
「セイショ公」の愛称で、いまも隠れた人気を持つ加藤清正の植林政策の名ごりで「森の都」とも呼ばれる熊本も、気候のきびしさという点では九州でも定評のあるところ。この町のむせ返るような夏の暑さと冬の底冷えとの激しいズレが、住む人の心をいらだたせずにはおかないのだろうか。
熊本の花物語に「モッコス」の話は欠かせない。花には必ず作る人の正確が出てくるものだといわれるが、肥後の花の場合はまた格別である。いま熊本に来ても、六花の群落はどこにも見ることは出来ない。それは熊本の風土に自生したものではないからだ。六花は肥後人が作り出した「人工の花」、ある意味では実験室に咲いた花といえるかも知れない。
肥後六花は、武士の花連という最も閉鎖的なサークルの中から生まれた。肥後細川藩は徳川の幕藩体制の中でも、朱子学と武士道を軸に無類の規律と結束を誇ったところ。肥後の花連発足のかげには、この息のつまるような空気の中で、細川武士たちがそのうっ屈した心のはけ口を花つくりに託したと見られるフシも多い。これにモッコスの語に代表されるような熊本人持ち前のいっこうさが輪をかけて、特異な六花の原形を生み出したと考えることができる。
これが一番よく出ているのが、異常なまでの花の芯への執着だ。六花は大きな花芯を共通の特徴にしている。梅芯のように豊かに盛りあがったツバキ、シャクヤク、キク、サザンカ。雄しべが天にきつ立するようなハナショウブ。そのあまりの大きさに「バケモノの花」と評する人もいるくらい。これを花の立場からいえば、数世代にまたがるモッコスたちのゴリ押しに根負けした形、あるいは「花のモルモット」の心境だったかもしれぬ。
モッコスとは単純にいえばヘンクツ者のことだが、その含む意味は広くなかなかデリケートのようだ。一方では気骨者の市政も示し、ほめ言葉にも悪口にも使われる。それを正負の両面にわけて、負の面でとらえれば愚直、窮屈、潔癖などの語があたる。だが、これらの性格は後進的な士族意識や保守的な農民意識が支配的な農業県にありがちで、また熊本人すべてがそうだというわけでもない。
ここから、熊本人の性格の特色は、モッコスそれ自身にあるというより、むしろ、おなじ条件でどこにもあり得る頑固な変わり者を、モッコスというユーモラスなイメージでとらえようとする態度にある(渡辺京二著「熊本賢人」)、とする見方も出てくる。
一方、正の面でとらえれば自分にも他人にもきびしい批評的な気質、「我が道を行く」独立独行の精神がある。花つくりに見られるいっこくさも、このように屈折しながらも筋を通すモッコスの心の中から埋めれたと考える事ができるだろう。
「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する国民が、一方では美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす」----アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが日本文化の形を論じた「菊と刀」の中でこう書いている。日本人の中には軍国主義と唯美主義、尊大さと礼儀正しさ、がんこと順応性が同居し、これらすべての矛盾が日本に関する書物のタテ糸とヨコ糸になるともいっている。
ベネディクトは「刀も菊もひとつの絵の部分である」というが、熊本にあっても「花と刀」は同じ絵の中に同居する。このように両極に走る心のブレに熊本の近世史、その花の文化史のアヤを解く一つのカギがあると、熊本大の森田誠一教授(日本近代史)は指摘している。その主役がモッコスなのだ。
そのモッコスはどのようにして生まれて来たのだろうか。熊本人ほんらいの気質にその素地があるし、細川重賢によって固められた熊本藩の鉄の規律と熊本盆地特有の異常気象が、これに拍車をかけたと見てよいのではなかろうかと、森田教授はいう。
「セイショ公」の愛称で、いまも隠れた人気を持つ加藤清正の植林政策の名ごりで「森の都」とも呼ばれる熊本も、気候のきびしさという点では九州でも定評のあるところ。この町のむせ返るような夏の暑さと冬の底冷えとの激しいズレが、住む人の心をいらだたせずにはおかないのだろうか。