津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

肥後六花-7 「陰陽五行」

2009-04-26 11:00:34 | 歴史
        肥後六花—7 「陰陽五行」  文・占部良彦

 数あるキクの中で、ヒゴギクは素人でもひと目で見分ける事のできる鮮やかな特徴をもっている。そして、この花のようにつくった人の気迫を感じさせるのはほかにないだろう。まんまるな黄金色の芯から車輪の幅(や)のように伸びた花弁、花の色は住んだ赤白黄の三つに統一され、大輪なのに細長い花びらはハリガネのように、決して腰折れしない。清楚と力強さをひたすらに内に秘める----そんな感じさえする。
 だが、ヒゴギクは果断栽培が建前で、一本、一本の花にも趣はあるが、全体の総合美に重きをおいているところが、ほかのキクと違っている。しかも、花壇を精神修養の場と見立て、ここに儒教の教えを表現し、花の配列には幾何学的構成を求めるという、肥後人のきまじめさと、度外れたいっこくさがめにみえるような複雑な規則をかかえている。
 その始祖は文化、文政年間に花つくり名人として知られた藩別当職の秀島七右衛門。「英露」と号した。かれは「士風向上」という重賢の遺訓に沿って、この花壇栽培法を考え出したといわれている。町に算術塾をひらくほど算数に明るく、その好みが花壇の幾何学的構成になって現れているようだ。文政二年(1819)に英露が書いた「養菊指南車(ようぎくしなんぐるま)」が、いまもヒゴギクづくりの「聖書」になっている。
 この本の幾通りもの方形花壇と、これに添える「ソデ花壇」のつくり方を示している。基本になっている三間花壇についていえば、その大きさは幅が5.4メートル、奥行き90センチ。この中で等間隔で二十九本の苗を参列に植えこむ。前列と後列に十本ずつ、中列に九本。後、中、前の順に天、地、人と呼び、中ギクの「人」は「天」と「地」がつくる方形の真ん中、その対角線上におかれる。
 ヒゴギクは花弁が筒になった管弁と、細く平たく伸びた平弁とに分かれている。平弁は「陰の花」、管弁は「陽の花」。また一本の苗に咲く花の上から五番目までを仁、義、礼、智、信の現れと見る。そして陽花は一番高い「仁」を真中に、陰花は「仁」と「義」を左右にふり分けるように育てる。五つの花は、常にその序列に随った高さを守らなければならない。
 可段ハこのように決めた陰陽の花を、赤白黄の順を守って交互に並べて行く。赤、白、黄は陰陽いずれにもなるが、出来上がった形は前、後列は両端がともに赤色の陰花、忠烈は黄と白の陰花。そして天地人を結ぶ対角線上には、常に三色の花が並ぶ仕組みになっている。工夫はこれだけではない。
 天、地、人の列ごとに苗の高さと花の大きさをそろえねばならぬ。天の列の後ギクが一番高く、花は大きく、前に行くほど低く、小さくなる。花の大きさの基準は前ギクは三センチ前後、中ギクが七~八センチ、後ギクが二十~二十二センチ。草丈は前列五十~六十センチ、後列は百七十~八十センチぐらいになる。こうして下段の花全部がひと目で見えるようにする。
 また、原則として花壇に植えるキクは三間花壇で二十九本、五間花壇では四十七本が全部違った花でなければならぬ。春先の植え込みの時の、この品種選定が大事で、これは途中でやり直しが出来ない。若し苗を間違えて、秋に花が開いたとき、赤い花が隣り合ったり、陰花の平弁同士が並んだりしても後の祭りである。
 かくして、方寸の我が家の庭に陰陽五行の世界、天地人三方の和、人倫の道を具現しようという、とてつもない夢を描くこの花壇つくりは、もう趣味といえるようななまやさしいものではない。誠実、綿密、根気強さに、年期を入れた栽培技術を結集する大仕事である。このため、昔から花壇拝見も羽織、ハカマでするのが礼儀になつている。
 秀島英露は「指南車」のなかで立春から晩秋まで一年間の手入れの仕方を詳しく示し「キクつくりは、これ生涯教育の道なり」と説いているそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする