津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・長谷川氏

2009-04-20 12:20:02 | 歴史
 大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続に、かって仕えていた人が細川家家臣にいることは侍帳作成の時から承知していたのだが、それが誰であったか思い出せないままでいた。ようやく判明した。(思い出したのではないのが悔しい)長谷川仁左衛門なる人である。東大史料編纂所の「大日本近世史料・細川家史料」の人物索引によると次のようにある。
【寛永十一年忠利に召出さる。千石。鉄炮三十挺頭。有馬陣にて軍法違背の疑いを受くも、書付にて申弁す。のち鉄炮五十挺頭。有馬帰陣後、褒美として二百石加増。承応二年六月病死。】
その祖は由良新六郎国繁(信濃守)である。 
     (武家家伝-由良氏)www2.harimaya.com/sengoku/html/yura_k.html

 仁左衛門の細川家召出が寛永十一年であるが、直江兼続の死後16年が経過している。いつ直江兼続の許を離れたのかは定かではないが、その間どうしていたのだろうか。
      ja.wikipedia.org/wiki/直江兼続
      http://www.ojima3.com/yoita/person01.html
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吊は弔の異字だけど・・

2009-04-20 10:03:20 | memo
 1、細川小倉藩「日帳」寛永五年九月二十八日帳に村上隆重葬儀についての記載がある。
    椋梨半兵衛被申候ハ、八郎左衛門、今井(中津郡)にて仕候、ニ三日之御暇被
    下候ハヽ、参度存候(以下略)

 2、忠利の寛永十三年十月廿九日書状、光尚正室の死去に関する文書である。
    御彌々之儀、不及是非候、之儀、此方之御寺未出来不申、切くミ計ニ候間、南禅寺
    天壽庵にて申候(以下略)

  「」という文字は「」の異体字である。それぞれ「とむらい」と読むのであろう。吊合戦などという文字も見える。ところが、これを「つり」とそのまま読んでいる一文があり、大変興味深い。

  綿考輯録巻九(忠興公・上巻p9)
    (前略)下津権内討死を忠興君深く御惜ミ、長尾合戦以来米田・有吉と功を論せし事
    御存被成候間、両人か見殺したるとつりを被仰候となり
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