寛永六年二月吉日書状(細川家史料-729-)
追而書之状見申候、其元之様子披見候二、ゑんじやごのみを仕候ハあしそうニ御入候由、
さやうニ可在之候、たがいニ力ニ成ことくのゑんしやハしうの為ニハわるき事候、又、公儀
むき其外おもハしからぬ衆と申合候ハ、事之外なる儀候、むかしよりゑんしやニ付よき事ハ
まれ成物候、心安候て物之不入が上々にて候、からす丸殿二番めのむすめと六と御申合
有度由、一段尤之儀と存候間、万所へをんみつにて可申遣候、定而可為満足候、我々より
申まてハ堅をんみつめされへく候、右之むすめ禰々と申候、そう一りハつニ御入候間、かた
/\可然候、大い殿と御たんかう有へく候、恐々謹言
三齋(花押)
二月吉日
未めかすみ、此中ハ猶々ほ(は)れ申候付、書中わけみへ申ましく候、此儀めてたきと
申事候 已上
越中殿
進之候
私は、光尚と烏丸家の禰々との結婚についての言い出し兵衛は、忠興だとばかり思っておきたが、
この書状を見るとどうもそうではないらしい。しかし事の成就に向けて、忠興の猛ダッシュが始まる。
追而書之状見申候、其元之様子披見候二、ゑんじやごのみを仕候ハあしそうニ御入候由、
さやうニ可在之候、たがいニ力ニ成ことくのゑんしやハしうの為ニハわるき事候、又、公儀
むき其外おもハしからぬ衆と申合候ハ、事之外なる儀候、むかしよりゑんしやニ付よき事ハ
まれ成物候、心安候て物之不入が上々にて候、からす丸殿二番めのむすめと六と御申合
有度由、一段尤之儀と存候間、万所へをんみつにて可申遣候、定而可為満足候、我々より
申まてハ堅をんみつめされへく候、右之むすめ禰々と申候、そう一りハつニ御入候間、かた
/\可然候、大い殿と御たんかう有へく候、恐々謹言
三齋(花押)
二月吉日
未めかすみ、此中ハ猶々ほ(は)れ申候付、書中わけみへ申ましく候、此儀めてたきと
申事候 已上
越中殿
進之候
私は、光尚と烏丸家の禰々との結婚についての言い出し兵衛は、忠興だとばかり思っておきたが、
この書状を見るとどうもそうではないらしい。しかし事の成就に向けて、忠興の猛ダッシュが始まる。