一、甘利宮内・魚住万五郎致持参候 三齋様御遺言之書物ニ堀田
加賀守殿へも無由申候得と 三齋様被仰候と聞申したる者も御
座候/不承之者衆御座候付然分は加賀守様へ二度書申間敷ニ落着
仕候処福知主膳ニ何も談合候得ハ主膳申候ハ此後第一御■■めニて候
間出候得と申候付書加へ指上申由ニ御座候事
一、三齋様御骨京都へ長岡河内守致持参候二付而河内守申し候ハ京
より直ニ江戸へ罷下り 三齋様御病躰万事八代之儀致言上罷
帰度存候得共路銭無御座候間江戸へ参申事不罷成候とて悔申候
由沙汰仕候条河内ニ横目を付若京より江戸へ下り申候ハゝ河内江戸へ
着不仕先二御注進申上候様ニと長岡佐渡守處へ申遣候事
一、中務殿御死去之一両日前ニ堀田加賀守様御見舞被成候時中務
殿御申候ハ加賀守様へ進度物御座候 三齋様十六之御年より今
迄御持被来候ざひを 三齋様一度も■■違合戦ニ不被為遊候
間此さひ加賀守様へ被進度与中務殿御申候得共加賀守様御満
足と被仰御いたゝき候而仰候ハ 三齋様ニ御あやかり可被成候
宮松殿御成人候ハゝ此ざひ相渡可申候御成人迄て御預り候宮松殿
茂御心安思召候得与被仰候由沙汰仕候/殊外御あひさつよく
御懇ニ被仰候と申候事
一、宮松殿を堀田加賀守様御振舞被成候時ニ御馳走御懇ニ御座候由申候事
一、中務殿御仕候井門又(文カト)三郎と申者堀田加賀守様殊之外御懇ニ被
仰候由御座候事
一、沢尾長兵衛儀八代ニ而大小方共ニ殊之外よく申候中ニ茂河内・与左
衛門・半兵衛不免申候 三齋様御代より此かた御為と思召有躰
ニ直成者と申候/大勝ニ不免申候/長兵衛居申候得者何も者じ候て
卒尓ニ物を茂不申出候様ニ大小身共ニ存候と申候 三齋様三年
以前ニ御逝去可被成様ニ御座候得共去暮迄御存命被成御座候事
長兵衛さばきニ而三年御命延申たると志方半兵衛杯申候
町人以下迄長兵衛儀不免申候事
一、河内守儀 三齋様 台雲様御挨拶能被為成候様ニと存たる躰
ニ而ハ無御座候者と沙汰仕候/八代侍共宮松殿へ如前ニ六万七千国
渡り候様ニ候得共たしと存躰ニ相見申候併人ニより宮松殿へ奉公仕間
敷与申者も御座候由申候事
一、志方半兵衛ハ 台雲様御台より至于今 三齋様与御相さ
つ■敷儀を頼ニ而くやミ申候付半兵衛ニ御横目
与被付熊本江之御用ニ判形不仕候様ニ与せいし被仰付候と申候/此中も見
申候二付左様ニ存たる躰ニ見へ申候/河内・与左衛門ハ 三齋様御いきとお
り■不申躰二相見へ申候福知主膳は煩申候/私共ニハ一度も對面不仕候/
沢尾長兵衛ニ者度々對面仕候得共未小ヽ姓同前ニ仕居申候故同座仕
二而様子ハ見不申候/是も居間程立病ニ煩申候事
一、三齋様御万様之金子三千両被成御借候に付而おまん殿被召仕候
上野と申女房連御■御見舞ニ去年より罷下御逝去之後申候ハ
此金子御返■不被候て御道具成とも被下候様ニ与北ノ丸殿へ申候由ニ
御座候 三齋様御万様へ定家一代を讀置候歌をあつめ自筆ニ而
被出置候歌所を御預置被成候と申候/此歌出は日本ニ二冊共無御座
歌出之由申候/代ハ何千枚共限無御座候由猶此表之様子立聞
相替儀度御座候ハゝ追々可致言上候間乍恐御披露奉願候恐々謹言
正月十日 丹羽亀之丞
藤崎作右衛門殿
加賀守殿へも無由申候得と 三齋様被仰候と聞申したる者も御
座候/不承之者衆御座候付然分は加賀守様へ二度書申間敷ニ落着
仕候処福知主膳ニ何も談合候得ハ主膳申候ハ此後第一御■■めニて候
間出候得と申候付書加へ指上申由ニ御座候事
一、三齋様御骨京都へ長岡河内守致持参候二付而河内守申し候ハ京
より直ニ江戸へ罷下り 三齋様御病躰万事八代之儀致言上罷
帰度存候得共路銭無御座候間江戸へ参申事不罷成候とて悔申候
由沙汰仕候条河内ニ横目を付若京より江戸へ下り申候ハゝ河内江戸へ
着不仕先二御注進申上候様ニと長岡佐渡守處へ申遣候事
一、中務殿御死去之一両日前ニ堀田加賀守様御見舞被成候時中務
殿御申候ハ加賀守様へ進度物御座候 三齋様十六之御年より今
迄御持被来候ざひを 三齋様一度も■■違合戦ニ不被為遊候
間此さひ加賀守様へ被進度与中務殿御申候得共加賀守様御満
足と被仰御いたゝき候而仰候ハ 三齋様ニ御あやかり可被成候
宮松殿御成人候ハゝ此ざひ相渡可申候御成人迄て御預り候宮松殿
茂御心安思召候得与被仰候由沙汰仕候/殊外御あひさつよく
御懇ニ被仰候と申候事
一、宮松殿を堀田加賀守様御振舞被成候時ニ御馳走御懇ニ御座候由申候事
一、中務殿御仕候井門又(文カト)三郎と申者堀田加賀守様殊之外御懇ニ被
仰候由御座候事
一、沢尾長兵衛儀八代ニ而大小方共ニ殊之外よく申候中ニ茂河内・与左
衛門・半兵衛不免申候 三齋様御代より此かた御為と思召有躰
ニ直成者と申候/大勝ニ不免申候/長兵衛居申候得者何も者じ候て
卒尓ニ物を茂不申出候様ニ大小身共ニ存候と申候 三齋様三年
以前ニ御逝去可被成様ニ御座候得共去暮迄御存命被成御座候事
長兵衛さばきニ而三年御命延申たると志方半兵衛杯申候
町人以下迄長兵衛儀不免申候事
一、河内守儀 三齋様 台雲様御挨拶能被為成候様ニと存たる躰
ニ而ハ無御座候者と沙汰仕候/八代侍共宮松殿へ如前ニ六万七千国
渡り候様ニ候得共たしと存躰ニ相見申候併人ニより宮松殿へ奉公仕間
敷与申者も御座候由申候事
一、志方半兵衛ハ 台雲様御台より至于今 三齋様与御相さ
つ■敷儀を頼ニ而くやミ申候付半兵衛ニ御横目
与被付熊本江之御用ニ判形不仕候様ニ与せいし被仰付候と申候/此中も見
申候二付左様ニ存たる躰ニ見へ申候/河内・与左衛門ハ 三齋様御いきとお
り■不申躰二相見へ申候福知主膳は煩申候/私共ニハ一度も對面不仕候/
沢尾長兵衛ニ者度々對面仕候得共未小ヽ姓同前ニ仕居申候故同座仕
二而様子ハ見不申候/是も居間程立病ニ煩申候事
一、三齋様御万様之金子三千両被成御借候に付而おまん殿被召仕候
上野と申女房連御■御見舞ニ去年より罷下御逝去之後申候ハ
此金子御返■不被候て御道具成とも被下候様ニ与北ノ丸殿へ申候由ニ
御座候 三齋様御万様へ定家一代を讀置候歌をあつめ自筆ニ而
被出置候歌所を御預置被成候と申候/此歌出は日本ニ二冊共無御座
歌出之由申候/代ハ何千枚共限無御座候由猶此表之様子立聞
相替儀度御座候ハゝ追々可致言上候間乍恐御披露奉願候恐々謹言
正月十日 丹羽亀之丞
藤崎作右衛門殿