津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御代々様御参勤御帰国 (8) 治年公

2011-06-29 08:55:01 | 旦夕覺書

治年公

          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%B2%BB%E5%B9%B4

一、安永四年九月朔日御部屋住初御暇被仰出 同廿八日御発駕 白金御屋敷住居 東海道御旅行
  十月十五日大坂着 室路御越 従室湊御乗船 鶴崎路御通行 十一月七日熊本御着
一、同五年四月廿二日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 五月十五日大坂御着 東海道御旅行
  六月四日江府御着 同十一日御礼 就御病気御使者 御傳役 を以御献上
一、天明元年 安永十年改元 五月十五日御暇被仰出 同廿二日御発駕 東海道御旅行
  閏五月八日大坂着 従大坂御乗船 鶴崎路御通行 六月十一日熊本御着
一、同二年二月十九日熊本御発駕 従鶴崎御乗船 室路御越 三月七日大坂御着 東海道御旅行
  同廿三日江府御着 四月朔日御礼
一、同五年正月十五日御暇被仰出 二月十五日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行
  三月三日大坂着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御越 同十八日熊本御着
一、同年九月十一日熊本御発駕 小倉路中国路御旅行 同廿八日大坂御着 美濃路東海道御通行
  十月十一日江府御着 同十五日御礼
      治年公就御病気従重賢公依御願比節御参府 御内実は重賢公御不例 御勝不被遊
      ニ付而也
  (天明5年10月26日父・重賢死去 12月12日遺領相続す)
一、天明六年四月廿二日御家督後初御暇被仰出 同廿三日御礼 同廿九日江戸御発駕 東海道
  美濃路御旅行五月十四日大坂着 室路御越 従室湊御乗船 鶴崎路御通行 六月三日熊本御着
一、同七年二月廿八日熊本御発駕 従鶴崎御乗船 室路御越 三月十九日大坂御着 美濃路東海道
  御旅行四月八日江戸御着 同廿二日上使 同廿八日御礼
一、同年九月十六日御逝去

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「こきんかいばしゅーか」

2011-06-29 08:41:59 | 熊本

 お読みになれますか。
過日同じ歳の友人からの飲み方の誘いです。

「古希の会をしようか」が正解ですが、熊本人でも中々判らないですね。

「ん」は「~の、~が」、「ば」は「~を」で日常茶飯につかわれます。例えば「雨んふっだした(雨が降り出した)洗濯もんば入れにゃ~」など・・・
「しゅー」は「~しよう」 古語辞典によると「しゅう=しふ」とあり「執」の字を当てるらしい。
なんとなく判る気がする。 「■■ちゃん、サッカーばしゅうい」という風にも使い、「しゅうい=しようよ」なのだが「~い」がよく判らない。

 熊本弁では「秋口、ちーっつと涼しゅうなってからしゅーばい」と返事することになるのだが、私は「秋になって、少し涼しくなってからしようよ」とご返事申上げた。(本格的にくづれると「涼しゅうなっちかる」となる)

 熊本弁は余り好きではなかったのだが、最近はそうでもなくてよく使うようになった。
地元の言葉は会話を豊かにすることに気づいた昨今である。

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