熊本県立図書館の3階の一画で、「富永家・武道関係資料(牧堂文庫)展」が催されている。何度か拝見したが長期にわたる、企画を入れ替えての展示が中盤に入った。
http://www.library.pref.kumamoto.jp/event/kityoshiryo.html
試し切り(胴斬り)の模様を描いた絵図などには腰が引けてしまった。
非常に興味深い資料が見受けられぜひともご一見をお勧めする。
熊本県立図書館の3階の一画で、「富永家・武道関係資料(牧堂文庫)展」が催されている。何度か拝見したが長期にわたる、企画を入れ替えての展示が中盤に入った。
http://www.library.pref.kumamoto.jp/event/kityoshiryo.html
試し切り(胴斬り)の模様を描いた絵図などには腰が引けてしまった。
非常に興味深い資料が見受けられぜひともご一見をお勧めする。
一、眞源院様御代に上月文右衛門五千石にて被召抱候 其刻八代にて 三齋公へ村上河内申上候は
此頃熊本にて大身なる者を被召抱由申上候へば御意にて肥後は人數寄にて候間左様に可有之何
と申者かと御尋の時上月文右衛門と申福嶋左衛門太夫殿にて城代勤居いかにも御聞及被成候者
の由御意被成候 河内申上候は最早年が無御座候と承及び候由申上候へば以の外御立腹にて扨
々侍に年がいる物か今日被召置早用に立侍越後の忠太をしらぬかと御意被成候由其日のうちに
熊本に聞申候へば年寄たる侍中何れも八代の方を拝申候由遠坂関内殿咄承り申候 先年拾七人の
義士御預の刻此咄仕申候へば何れも承り被申被奉感候 河内も大坂陳にても能壱萬石被為拝領候
へとも河内申上候言と御意とは扨も/\上下の相違と書付置候 我等式も年寄申候へば別して
/\奉感調候内に感涙仕候 武士たる者は高下なく身を捨御静謐の世には夫々勤申役儀に身をす
て勤がたく存候事は断申候ても又相應の勤も可有事に候 役料にはなれ難く兎や角と能き手立を求
申上をかすめ申様成者は大小ともに數十年の間の事近年廿年餘致休息思ひ合せ申儀多有之候
右の御意の通に御代々思召候て御取立多くは御代々被召仕候 子供何も親同前に思召家を御潰し
不被遊候様に養子迄如願被仰付候 此御恩を奉存候はヾ親々よりは精を出勤候筈に候へとも或は
世上の仕合よきへつらひ者の不實成者を浦山敷存御為と存候ても傍輩へさわりありて迷惑仕者も
色々取なしにて能成候 實成る者は多くは働不申事遅く埒明候へ共誤り少く發明と申者又は埒明け
申は多くは當時の間にあひ候へとも以後にはあらはれ申候兎角我が心にて御為存る事道に叶たる
事と或は御為には少御損も可有之哉併御家中御國中の為に成り申事は少の御損にても大き成御
仁政に成候へば身を捨て可申上事に候 我等十年斗勤申在江戸にても如形大勢の諸侍城中下咄承
候へども百は百ともに御為/\とばかり承傳候 是は少御損参り候へ共御家中御國之為と申事一言
も承り不申候 昔の咄は當世にはあわぬ/\とばかりにて當世/\御意に入候様はかり上中下共に
勤申たる事能覺申候 長谷川久兵衛と申仁老父心易く度々悔被申たる事覺申候 拙者もその時分は
不入事を被申候なとと存候へとも扨々近年に成申 扨長谷川は能被申たる事哉と先見の明と聖賢
の書に見え申候 如形文盲成る仁にて候へども志は聖賢に叶たると存候一国壱人と存る尤おろかに
て心付不申者は天罰も蒙り申間敷候 世を渡ることのみ工夫仕時々にあわせ我身の為ばかり存候
者上中下覺申内に罰を蒙りたる人多く有之候 誠に/\當世は明将少く善悪分り兼候へども天道は
明らかに罰を蒙り申と奉存候 右之通昔は御用立■申侍は五千石にても他國にて名顕はれ申者は被
召抱候 幸に御家代々被召仕候者夫々に禄を被下被召仕候者我身を■ひ御奉公をば不實に勤め上
に御免被置候ても御代々の御罰蒙り申も天罰同時に奉存候 八十に成候て如此書置候事も心底に
は隠居相應の忠節と存候 大坂御陳の時松平加賀守殿内に家老の隠居松平阿波守殿内に家老の
隠居何も七十八十迄堅固相勤候由にて東照宮御父子様より御褒美被下候 難波戦記に見へ申候
我等一代御静謐にて戦場の御奉公不申儀は不及力事に候 せめて同名中の内へ御静謐の内には
其段々に被仰付候勤を身を捨相勤られ御用に立被申かしと日本國の尊神奉存上候儀一ッの忠にも
成り可申や拙者子孫は不及申堀内名乗申中大勢有之候へは何も同前に可有之事にて候日本國中
の昔より武士たる人名高書置候書物に御覧可有候人と生れ成ましき事に無御座候 心懸申様にと
世々書置候 御静謐の世には夫々の勤戦場同前に可存事に候