この記事について傳右衛門は「東國太平記の抜書」としているが、当時この本は絶版になったとも書いている。綿考輯録にも見られない田邊城内での古今傳授の詳しい描写があるが、細川護貞様は御著「細川幽齋」で、同様の内容を「明徳親民記」から引用されている。
護貞様もお書きのように、諸資料によって小異がある。そういう意味でこの「東國太平記の抜書」も価値があるものと思われる。
一、東國太平記の抜書
幽齋玄旨公古今御傳授并御先祖之事
■ハ略 其頃公家ニモ古今集ノ傳授中絶シテ天子ニモ御傳アラセ玉ハサル所ニ細川藤孝入道玄旨法印カ身ニ有ケレハ若藤孝討死セハ日本ノ神道歌傳永ク絶ナント 忝モ後陽成院嘆キ思召テ時ノ傳奏三條大納言實條卿・烏丸大納言光廣卿ニ加茂ノ大宮司松ノ下ヲ相添テ田邊之戦場ヘソ遣サレケル 両軍相イトンテ戦半ナルニ勅使急キ輦ヨリ下サセ玉ヒテ両陳ニ仰セケルハ今度天子ノ勅使トシテ三條大納言・烏丸大納言遥是マテ来リタリ 両陳儘ニ承ハレ 今本朝ノ歌道ノ秘傳鳳闕ニハ絶タル如クニて武家ニ相傳セリ 抑古今ノ傳授ト云ハ中古濃州士東ノ下野守平常縁より紀州ノ種玉菴宗祗ニ傳へ宗祗ヨリ三條大納言逍遥院實隆卿ニ傳實隆ヨリ穪名院公保卿ニ傳へ公保ヨリ三光院實澄卿へ傳へ其ヨリ丹智院公國卿ニ傳フ 公國早世ノ折節其子香雲院實條七歳ナリシ故ニ細川兵部太輔藤孝入道玄旨ニ傳フ 藤孝ハ文武二道ニ達シ義勇ノ名将ニテ我カ師範タル丹智院ノ息實條卿ニ傳ン為ニ田邊ノ城へ迎へ取テ養育シ歌道神道盡ク傳授シタレトモ未幼弱ナレハ古今ノ傳ハカリ残サレケル 實條既ニ成長ニ及ハレシ故ニ帝都ニ返シ奉リケルニ天子ノ寵遇他ニ超テ聞サセ玉ニハ補佐ノ大臣トモ成ハント思ハレテ藤孝モ悦アエリ 古今ノ傳授テモ遂テ師恩ヲ報セハヤト思ハレシ處ニ高麗征伐ノ觸アルニ依テ則異國合戦ノ用意取紛レ實條卿ヲ呼迎エテ傳授セン隙ノアラサル武士ノ習イ何國ニテモ討死セン事ハカリカタク思ヒ若討死セン時ニ於テハ本朝ノ歌道ノ傳授永ク絶ナン事ヲ歎則古今ノ箱ヲ幽齋ノ孫烏丸大納言光廣ニ遣高麗陳ノ間其方ニ預奉■若討死致スナラハ此箱を實條卿へ渡シ玉ハント有テ一首ノ若ヲ送ラレケル幽齋
人ノ國ヒクヤ矢島モ治リテ二度カエセ和歌ノ浦波
藻シホ草カキアツメツヽ跡留テ昔ニカへセ和歌ノ浦波
古今ノ箱預リ玉フトテ返歌光廣
萬代ト誓ヒシ亀ノ鏡シレイカテカアケン浦島カ箱
斯ノ通リニテ高麗陳ノ時藤孝入道玄旨は筑紫名護屋ニ詰ラレケル 其息朝鮮ニテ軍功大ヒナルヲ以テ秀吉公御遺言ニテ豊後臼杵ノ城ヲ加恩ニ預ケラレケル 皈陳ノ後ニ光廣ヨリ箱ヲ返ストテ
明ケテ見ス甲斐モアリケリ玉手箱二度皈ル浦島カ波
御返シヲトテ
浦島ヤ光ヲ添テ玉手箱明テタニ見スカエス浪カナ
ト互ニ諷吟シテ傳授ノ箱ヲ贈リ返シ公家武家ニ悦カヘル折柄ニ圖スモ治部三成軍兵ヲ催シ諸卒ヲ遣シ玄旨カ在城ヲ取圍ミ大軍キヒシク攻戦ヒ落城近キニアリト奏聞アリケレハ驚カセ玉ヒ玄旨若討死スルニ於テハ本朝ノ神道歌傳永ク絶神國ノ掟モ空クナルへシ 古今ノ傳授ヲ再ヒ禁裡ニ残サレン為ニ勅使相向フナリ 此陣暫ク引退テ古今ノ傳授アラシメヨト宣旨委細ニ演玉ヘハ両陳畏テ則戈ヲ伏セ冑ヲ脱鳴テ静テ戦ヲ止スレハ勅使宣旨ノ通リヲ玄旨ニ仰ケルニ入道法印有カタキ勅命ナリト頓テ本丸ノ城ニ請シ焼香灑水シテ古今ノ箱ヲ取出シ三神五社ヲ掛奉リテ秘密ノ傳授一言半句モ残サスシテ三條大納言實條卿ニ傳授セラレケル 其上源氏物語ノ奥義二十一代集ノ口訣切紙和歌ノ三神人丸ノ正體八雲ノ大事二時ハカリ其間叮嚀ニ認テ神國秘密傳授ノ印信トテ一首ノ和歌ヲソ奉上ラレケル
古モ今モ替ラス世ノ中ニ心ノ種ヲ残ス言ノ葉
ト讀テ實條卿ニ對シテ古今ノ箱並ニ源氏物語廿一代集ノ箱共ニ渡シ奉ラル 斯テ烏丸光廣卿モ次テヲ以テ傳授シ玉フトカヤ 最目出度ヲ聞へケル玄旨法印ハ傳授此時ニ永ク絶モヤセント是ノミ苦シミ思ハレケル所ニ再ヒ禁闕ニ遣シ奉リ神國ノ光ヲ彌々雲ノ上ニ輝カスナリト千喜万悦更ニ喩ンカタモナク思ヒ奉レリ 偖傳授事畢テ後両人ノ勅使ハ大宮司松ノ下ヲ以テ寄手ノ大将共ニ勅命ノ趣宣サセ玉ヒケルハ今度勅使トシテ三條大納言烏丸大納言向下ツテ藤孝入道玄旨法印ニ天子古今ノ傳授マシマセハ玄旨ハ則天子ノ神道歌道ノ國師ナレハ此陳早ク引取ヘシト仰ラレケレハ牙ヲカミシ寄手ノ諸将モ勅命ナレハ謹テ領掌シ意義ナク圍ヲ解テ引去ケル 抑此藤孝ハ尊氏十二代ノ後胤義晴公ノ四男也 母ハ還翠院儀賢ノ息女ニテ飯川妙佐ノ妹ナリ 萬松院義晴公東山鹿ケ谷ニ移居シ玉ヒシ時寵セラレテ懐妊シ男子ヲ設ケサセ玉フ 是ヲ後ニ兵部太輔藤孝トハ名ツケタリ 義晴公ノ嫡男ハ義輝二男ハ北山鹿苑院周崇三男ハ南都一乗院門跡覺慶四男ハ藤孝也 後ニハ此妾ヲ三淵伊賀守ニ嫁セラレテ大和守トハ別種ノ兄弟ナリトカヤ 慈母ノ嫁スル時ニ藤孝モ倶ニ行テ三淵カ継子ト成テ育ケル處ニ其頃泉州岸ノ和田ノ城主細川右馬頭元常ニ子ナシ幸ニ三淵ト縁有シ故ニ兵部太輔藤孝ヲ養テ子トス 仍テ細川ト云 其子越中守忠興長岡ト名乗事ハ昔日藤孝京南勝龍寺ノ軍ニ戦功アリシ故ニ則其在所長岡ノ庄ヲ信長公ヨリ采邑ノ地ニ拝領セシニ仍リ長岡トハ名乗ラレケルトカヤ
右東國太平記ノ内ニアルヲ抜書スル由山鹿湯ノ町島屋長之允寫タルヲ見内々此書面ノ通ト聞
傳クルマテニテ如此委細ハ此書ニテ見幸ト寫置也 島屋ハ町人ニテ家業ナラネト國恩ノ重キ事
忘サル志感入候 此書ハ絶版ニナル由 島屋ハ父母ニ孝ナル由忠孝ハ車ノ両輪ト云事マコトナ
ルカナ
・細川御家譜 御家系ニハ
藤孝公實ハ三淵伊賀守晴賢入道宗薫子也
・御家傳ニハ三淵氏ハ室町幕府ノ落胤也ト穪ストアリ天文十八年三好カ亂ニ藤孝十六歳トアリ