現在県立図書館「細川コレクション永青文庫展示室」で開催されている、「細川コレクションの知られざる名品展」に出品されている細川茲詮所用の胴丸具足である。
美しいいかにも若武者の具足であることが伺えるが、文政元年(1818)茲詮は23歳で亡くなっている。細川齊茲の三男・職五郎(のりごろう)のことである。寛政八年(1796)の生まれだが、享和二年(1802-7歳)と文化元年五月(1804-9歳)の二度にわたり、父・齊茲の実家宇土細川家の和泉守(齊茲弟・立之)の急養子になっている。
立之は兄立禮(齊茲)が本家相続をした際、宇土細川家を継ぐことになるがわずか四歳であった。嫡男・與松が生まれるのが文化元年九月である。職五郎の二度の急養子というのは立之が病気にでもなったことが伺える。
齊茲の嫡子・齊樹は文政九年に亡くなるのだが、職五郎が健在であれば跡目相続も有り得たかも知れない。
文政元年、宇土支藩藩主立之も死去、立之の子・與松は十五歳で宇土支藩を相続する。そして文政九年には宗家の齊樹の危篤に伴い急養子となり宗家を相続(齊護)することとなった。
きらびやかな具足を見ていると、職五郎殿の無念の息づかいが聞こえてくるような気がする。
そして、宗家・支藩を無事に次代に相続せしめるための、見事な連携が見て取れるのである。