播磨屋さんのメールマガジン「家紋WORLDニュース48号」が送られてきたが、ここに「風雲戦国史 http://www2.harimaya.com/sengoku/ トップページのコラムを 南条氏に更新」とあった。
南條氏といえば細川興秋の娘・鍋(なべ)が南條大膳元信に嫁いでいる。興秋の室は氏家元政女であるが、興秋の没後飛鳥井中納言持信に再嫁した。鍋が誰の手に依り育てられたのか詳しいことが判らないでいる。
さて南條元信なる人物だが、細川家記は南條左衛門元次息と紹介している。残念ながらこれは間違いである。(下に記す) 元次については「東北文庫-小寺融吉の盆踊りの研究」というサイトに次のような記述が見える。
【島根と隣の山口県の岩国を中心とする南條踊は、天正年間に吉川元春が伯耆の南條元次の城をやはり歌舞に事寄せて奪つたに始まるといふ。しかし或は南條の戦死者を弔つたものかも知れぬ。これは旧藩時代に旧藩の子弟に限り稽古して、夏の夜や祝い事に踊り、最近は辛くも保存されている。紋服に袴、白鉢巻、白足袋、わらぢ、脇差に軍配を手にした姿である。いはば武士階級の盆踊といふべきものだ。】
興味深いこの記述は元次=元続であることを示唆している。
そして、元次と元信の関係は次のようになる。(細川家記を正しいとすると元信が元次の跡を継いだということも考えられるが、詳細は不明である。) 元次(元続)の弟・元宅(小鴨元清)の孫が元信である。
南條家は断絶し、女系によって受け継がれた細川興秋のDNAは米田家の血に伝えられた。
米田是長=====是庸・・・・・・・・・→代々家老・米田家
∥-----吟 ↑
+---元次 細川興秋---鍋 +---伊千 ∥----是庸
| ∥----+ ∥
+---元宅-------勘三郎---元信 +=====元知(細川忠利末子)
(出典:宮村典次「藻塩草」42巻所収-南條家系)+津々堂責任編集
この元信、なかなか面白い人物である。回を重ねてご紹介する。
武家家伝_南條氏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F
南條元続 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%9D%A1%E5%85%83%E7%B6%9A
南條元宅 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%B4%A8%E5%85%83%E6%B8%85