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山川出版社 |
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20120822-OYT8T00735.htm?from=yolsp
本の題が大変センセイショナルですが、「河原ノ者・」と「秀吉」は別物です。
一部と二部に別れ、二部に「豊臣秀吉」が登場し、第十一章で「秀頼は秀吉の実子に非ず」説が取り上げられているようだ。
http://www.yamakawa.co.jp/product/detail/2090/
ミーハー気分で読んでみようかと思っている。
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山川出版社 |
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20120822-OYT8T00735.htm?from=yolsp
本の題が大変センセイショナルですが、「河原ノ者・」と「秀吉」は別物です。
一部と二部に別れ、二部に「豊臣秀吉」が登場し、第十一章で「秀頼は秀吉の実子に非ず」説が取り上げられているようだ。
http://www.yamakawa.co.jp/product/detail/2090/
ミーハー気分で読んでみようかと思っている。
寛永十年八月廿四日、忠利の義兄・豊前小倉藩主小笠原忠眞は、三齋・忠利の不和について心配の書状を送っている。
同九月二日の忠眞宛て忠利の返書(2324)である。
態御使者被下八月廿四日之御状拝見仕候 我等父子間悪由被聞召
何とそ可然様にと仰越候御心入之段 忝儀 書中難申盡候 其元へ左
様被聞召候哉 切々用共御座候而 此中状數を取替候 左様之儀之理
をも不存は何事そと存候而 申候哉と存候 今日為暇乞 口切可有之と
て八代へ参候とて 御使者ニも早々得御意候 爰元ハ少も替儀無御座
候 委細又三齋かたより可被申入候 彌九月十一二日ニ罷立候 於江
戸御用候は可被仰聞候 被懸御心安候而早々被示下候段 御禮難申
盡候 尚御使者可被仰候 恐惶謹言
九月二日
小右近様
御報
尚々 我等おぢニ休齋と申者御座候 不聞事候而中をたかい申候
他國も如何とて我等弟知行八代へ召寄候 其後ハ少も不苦候由
申聞候 かやうの事を申候哉 以上
大意は次のようなことであろう。
【我等父子の中が悪いのではないかとご心配いただいているが、いろいろ用事があり書状が多くそのことでそうお思いかと思う。
今日も三齋から口切に招かれているくらいだ。江戸でお目にかかりお話したい。
叔父休齋とは仲違いをしたが、今は八代に居るのでそのような事もない。このような事(を含めて)のお話ではないのか】
幽齋息ちゃち 孝之に家督・・・? やっかいな叔父 寛永十年ころの休齋孝之
唯一地震之間の存在が書き込まれている、花畑邸絵図のトレスである。○印の部分が地震之間である。この絵図が作成された時期は判らないが、忠利の入国後寛永期のものではないかと私は推測している。ただ能舞台などがあるところをみると、時代は下るかもしれない。披雲閣とあるあたりは後年藩主の私室・陽春之間が出来ることになり、その後の絵図ではこの地震之間はなくなっている。