薩摩藩における寺田屋騒動で、襲われた一党の中に橋口伝蔵なる人物がいる。奈良原喜八郎(後・繁 男爵)の手により惨殺された。橋口には弟がある。
後年ある席で弟は食事の膳を持ちあげると、奈良原の頭上めがけて打ち下ろしたという。いつも顔を合せる間柄になっていたというが、鬱憤がばくはつしたということらしい。その人物は橋口家から樺山家に養子に入った、樺山資紀である。孫にあたる白州正子の著を読んで始めて知った。
寺田屋騒動 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
奈良原繁 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%8E%9F%E7%B9%81
樺山資紀 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E8%B3%87%E7%B4%80
西南の役に於いては官軍の将として、師とも仰ぐ西郷隆盛を敵として戦い、その辛さは生涯頭から離れぬ痛恨事であったという。
「自分など明治の元勲などといわれるが、本当に立派な人は皆御一新の時に死んでしまった。残ったのはカスばかりだ」と話したという。
白州正子は「明治御一新」のことはよく知らないという。勝者の都合で作り上げられた歪んだ歴史観では真実が見えないということであろう。
鶴川日記 http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-67782-8