細川家の肥後入国に関する沢山のお祝いに関する返書を見ると、何とも微笑ましい書状がある。
藩主に対するとともに、家臣にも祝いの品が贈られており、これに対する忠利の率直な考えが反映されている。
寛永十年二月十六日相良長毎宛書状(2039)とその追而書(2040)を見る。
(2039) 肥後國へ罷越候付而被差越御使者御状 令拝見候 仍為御祝儀
御太刀一腰・馬代銀拾枚并白柄百本・漆五桶拾貫目 御在所之物
之由候而被懸御意 忝存候 貴様之儀御在江戸之處 遙々如此之
段 難申盡候 猶御使者へ申入候 恐惶謹言
二月十六日
相良左兵衛佐様
御報
(2040) 追而申入候 我等内長岡佐渡守・有吉頼母佐・長岡監物・かゝ山
主馬・筑紫大膳・筑紫左近かた迄も御太刀・馬代被遣候由 申聞
候 忝存候 為御禮如此候 恐惶謹言
二月十六日
相良左兵衛佐様
人々御中
尚々 私へ御使なと被下候さへ御座候ニ 下々迄か様ニ御座
候ヘハ 他國へ之聞えも如何と 何も御理申入儀ニ御座候
以上
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一方昵懇の間柄である浅野長直からの書状 (2049)に於いても、家臣に対する祝儀について触れている。
肥後國拝領仕為御祝儀遠路三左衛門被下 御太刀一腰・馬代黄
金壹枚・蝋虎鞍覆五被懸御意 忝存候 并貴様御継目之為御祝儀
御太刀・馬代金子壹枚被送被下候 是又過分至候 目出度祝存候
辰珍 波多 可政 友好
次 津川四郎右衛門・中庵・かゝ山主馬・澤村宇右衛門ニ御小袖一
重宛被遣候 何もへハ御理申入候へ共 貴様之儀は各別ニ而御座
候間 拝領仕候へと申付候 寄思召忝存候 猶御使へ申候
恐惶謹言
二月廿五日
浅野内匠様
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相良家との付き合いは同じ九州の大名であるが、特段親しい間柄でもない。それ故、家臣への祝儀は受け取れないという訳だが、その理は言を尽くしている。
一方浅野家との付き合いはまさに格別なものがあり、こちらは有り難く頂戴するとしている。
このあたりの機微がなかなか面白い。