此の暑いさなか足湯をしています。両足のむくみがひどくなり、どうやら冷房が原因ではないかということになり、奥方が使っている機械を引っ張り出しました。寝るときは靴下をはけ、タオルケットを足の下に入れて足を持ち上げろと奥方がのたまいます。本当に冷房が原因かどうかも判りませんが、くるぶしも土踏まずもないような見たばかりでギョッとする状態に成り、いささか歩行にも影響が出てくると、なんでもやってみようという訳です。おかげでズキンズキンとしていた足元が、そんな状況を脱しつつあります。考えてみれば寝ている間以外はクーラーがフル稼働していますから・・・・
隋兵寒合まで一月弱、今年はことのほか暑かった様に思いますが、まさかこんな有様になるとは思いもしませんでした。
皆様もお体おいといください。
昨日の史談会において、肥後金春流中村家から提供された、武家役者・中村少兵衛に宛てた細川忠利の書状である。
中村家御当代・中村勝様に感謝申し上げる。
忠利直筆の折り紙であるが、ここでは読みやすいように下部は天地を逆にしてコピーしてある。
ご紹介する読み下しは本文を黒文字、追而書を赤文字で表記してみたが、縮小されているのでやや読みづらいところはご了承願いたい。
また追而書の最後尾部分に於いては「すたり可申事無念 たくいなく候/\ かしく」とあるのだそうである。
年代については寛永九年の物と思われる。「九月すへにハ出舟」とあるが、十月三日に江戸に着き、翌四日肥後転封を命ぜられている。
その年の末十二月九日、忠利は肥後54万石の太守として入国するのである。
そしてこれは中村少兵衛を細川家に迎えたいとの、忠利の強い想いがあふれた「招聘状」と考えるべきものであろう。
忠利の真摯な心情が垣間見える書状で大変興味深い。
中村少兵衛の詳しいことについては「金春流肥後中村家」のHP http://www1.odn.ne.jp/higo-nakamura/ をご覧いただきたい。
猶々我々ためにハ
國ひろく候故すへ
/\迄教キも
御見廻候て使者
とゝキ
を給殊ニ
申ましく候 本草
之かな書別而
間他之聞はち入
ひそう申候次ニ
計ニ候我らはちハ
うに其國之
うへ/\も通候
そうめん二わけ
と存故一入むかしに
かやうの見事なるハ
かハりきつかい申候ほしき
まれにも見不申候
者ハ人多キハ人なキハ人
シらかいとにて候
ニて候
此中ハ阿まり
物ノうえハ一ノたからに
あつく候故
いにしへより仕候ハ人と申候
秋もすへニ成
此上ノたからハ無之候
候て東京たるへ
よキ人所ニかくれ
キよし尤ニ
候てすたり可申事
存候我ら上候事
無念■■■
九月すへにハ
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出舟可申と存
候へとも江戸次第
之事にて候間
我なから不存候
其元国を御
まはり候衆事
あつまり之下々
にて候間此度も
かミシらすニ
ミたれ
可申候面ならてハ
恐々謹言
細越中
七月十五日 花押
中村少兵衛殿
御返報