残暑お見舞い申し上げます。
今年は例年にない猛暑が続いております。十分体調に気をつけられてお過ごしください。
津々堂敬白
細川家の肥後入国後、南関の初代関所御番に指名された久野次郎左衛門は、天草・島原の乱において身体に数箇所の銃弾を受けながらも奮戦、数年後この傷がもとで南関の地で亡くなっている。亡骸は、「死して後も南関の守護神たらん」として、街道筋が見渡せる丘の上に葬られた。
次郎左衛門は旧佐久間信盛・信栄父子に仕えたが、佐久間家没落の後旧主信栄(不干齋)の肝煎により細川家に召しだされた。
其のいきさつを伺わせる不干齋の次郎左衛門宛書状が久野家に残されている。
本年7月11日、この次郎左衛門のお墓が南関町指定文化財(建造物)に指定された。(町のHPにはまだUPされていない)
ご子孫久野正貴様から資料の送付をいただいたので、ここにご紹介する。