津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御恵贈御礼「舒文堂 古書目録43号」

2012-08-06 13:21:40 | 地図散歩

                      「舒文堂 古書目録43号」を御恵贈給わった。深く御礼申し上げる。
                      舒文堂河島書店様は熊本で屈指の古書籍店である。そして古書目録も43号という歴史を重ねている。
                      全280ページに及ぶ立派な目録で、その質・内容の充実は見事の一言に尽きる。
                      写真版が別途38ページに及び、松尾芭蕉書簡(3,780,000円)を筆頭に素晴らしいものが目白押しである。
                      ちなみに表紙は加藤清正書状(840,000円)である。
 
                                        http://www2d.biglobe.ne.jp/~jobundou/

                    

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御礼

2012-08-06 09:12:22 | 徒然

 当ブログの閲覧数が200万を突破しました。どうやら昨日のことのようです。
いつまで続けていけるかどうか判りませんが、今後もがんばりたいと思います。
深く感謝申し上げます。

                             津々堂 敬白 

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書状を読む(八)小笠原長定のことなど・・そのニ

2012-08-06 09:10:59 | 史料

                                     立花宗茂
 一、坂崎三四郎事、此前飛騨殿御詫候へとも、御誓文を御立、不被成御同心候へとも、當國を被
   成御拂候からハ不入候と思召候段、我等次第ニ可罷出候、無失念飛騨殿へ此通可申理由、
               坂崎成定
   奉得其意候、親道雲煩、以之外ニつまり候條、先御諚之通申聞候、難有可奉存候事


坂崎三四郎については「坂崎三四郎なる人」ですでに触れた。親道雲とあるから実子であると思われるが、「被成御拂」とあるから放逐されたのであろうか。
坂崎家の二代目は養子である。このことが原因でなのであろう。事の真実が判らないでいる。 
 

    御                松井興長室・松井寄之                          填島昭光・一色
 一、乍○次、右之御諚候間申上候、御こほ・いわ事、御詫事申上度常々奉存候、尚、云庵・杢
   所迄致言上候事

御こほ(古保)、いわ(巌千代=寄之)は共に忠興の子である。古保は松之丸(郡宗保)を生母とし家老・松井興長に嫁いだ。巌千代は忠興の末子で興長・古保夫婦の養嗣子となった。元和三年の生まれであるから、この時期16歳である。この二人の三齋に対する御詫言とは果たして何なのか、関係する資料をまだ見出せないでいる。大変興味深い。 

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