今日は良い天気、南阿蘇の一心行の桜はまさに満開、大勢の観光客で大賑わいの状態です。
実はこの写真、長男が出かけて撮影してきたものですが、あまりの綺麗さにちょっと借用して皆様にご紹介いたしました。
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実はこの写真、長男が出かけて撮影してきたものですが、あまりの綺麗さにちょっと借用して皆様にご紹介いたしました。
雑花錦語集(巻六十七)
雑花錦語集(巻六十八)
雑花錦語集(巻六十九)
去る27日の文楽鑑賞の会場で、「加藤清正妻子の研究」の著者・福田正秀氏と席が隣同志となった。勢い清正公の話になつた中で、正室清浄院の父・水野勝成の事に及んだ。天正の末期、城村城や本戸(本渡)城の攻撃や宇土城の攻防、その後加藤家の改易の際には熊本城受取の一人となるなど、熊本とは切っても切れない人物である。福田氏はこれらの戦いを通じて勝成が清正の人物を知り、清淨院との結婚を進めたのではないかと仰っている。
加藤清正の研究から、二人の結婚や勝成の熊本における多くのかかわりなどについて、研究を進めていただきたいと思っている。
そんな中で、「水野勝成覚書」の存在に話が及んだ。私も書写文書のコピーを持っているのだが、まだ読んでいない。
これは読まずばなるまいと思って取り出したら、上中下巻の内の上巻が欠落していた。
早稲田大学のデジタルライブラリーでこれを見ることができるので、コピーを取るまではここを利用して読むこととした。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i04/i04_00775/i04_00775_0175/i04_00775_0175.pdf
城村城の攻防についても若干の史料を持っているので、併せて読んでみようと取り出してみた。
地元熊本でのこれらの歴史についてはあまり詳しい知識を持たない。
熊本史談会において、水野勝成の行動を通しての熊本の歴史について、お話しいただけないかとちゃっかりお願いをした。
最近オークションで二冊の本を手に入れた。細川氏豊前時代の領地である香春の「香春町歴史探訪」という本と、熊本出身の谷川健一氏の「四天王寺の鷹」である。この二冊の本に思いがけない共通点があり、余りの偶然に驚いてしまった。
前者は香春町教育委員会が平成四年(1992)に発行したもので、郷土史誌かわら第三十七集とある。有り難いことにこの本は、過去の三十五集までで取り上げられたという、香春の歴史をまとめたものであった。細川家に関わる歴史関係書からはうかがい知れぬものが網羅されている。
一方後者は、「四天王寺の堂塔は、合戦で敗死した物部守屋の怨魂が悪禽となって来襲し、そのために多大な損傷を受けるという被害に悩まされた。そこで聖徳太子は白い鷹になって、悪鳥を追払う事になったという話である」という、四天王寺に伝わる奇怪な伝承の紹介から始まっている。第Ⅰ章においては、「豊前の鷹」となる。彦山に祀る三つの鷹栖山の話へと繋がっていくのだが、「彦山の鷹」から「香春の鷹」へと続いていく。
氏はあとがきで、「金属民俗学の主題を追及した」としているが、香春や採銅所と云ったところに注目して多くのページを割いている。
秦氏が香春周辺の鉱物資源に目をつけ此処に住み着いたという。諸資料を紹介しながら「香春は秦王国の中心」だとされる。香春を「かわら」と読ませるのは、「むかし新羅の国の神、自ら度(渡)り来りて、此河原に住みき、便即、名づけて鹿春の神と曰ふ」によるとする。日本地名研究所所長の肩書を持たれる氏の言は説得力がある。
2006年初版の本だが、谷川氏のこの御説は当然のことながら「香春町歴史探訪」には反映されていないようだ。
不思議な出会いである二冊の本を交互に読みながら、時間のたつのを忘れてしまった。
細川時代の香春を知りたいと思ったのだが、記紀の時代に遡る壮大な話に踏み込んでしまった。