「日本の古本屋」から購入した、大坂の歴史と文化財 第2号が昨日届いた。これにある「新出熊本藩大坂蔵屋敷絵図について」から引用させていただいた。
先にご紹介した中之島の図からするとこの絵図は天地が逆さまである。下が北で堂島川であり、上が土佐堀川である。
この絵図からはスケール感が沸かないが、あの中の島の南北の川に挟まれた地域であるから、相当な広さであることが判る。
堂島川から広大な広さの御船入レ入江が切りこまれていて、米を積んだ船が川をさかのぼりこの蔵屋敷に直接入ってきたことが判る。
藩士の名前が書きこまれていて、これを手がかりにいろいろ調べてみたいと思っている。
よくよく考えてみると、大坂にはもう30年ほど出かけていない・・・・・
蛇足:
留守居として猪股才八の名前が見えるが、誠に偶然であるが、母の実家のT家はもともとは猪股氏を称し、大坂蔵屋敷にいたことが先祖附けにある。
二代程が大阪で過ごし後に熊本に入ってT氏と改めている。この猪股氏との関係は如何なるものだろうかと、また/\好奇心をくすぐらされる。
(いのまた氏は猪俣と書く場合が多いが、こちらは猪股だからどうしてもそう考えてしまう。)
「山鹿郡城村籠城之次第」「隈部軍記」をおわり、次はどちらをご紹介しようかと考えていたが、「肥後国衆一揆」の全貌をとらえるのは並大抵の事ではない。
「内空閑記」については、どなたかがUPされていたことが記憶にあったので調べてみたら、次のサイトで紹介されていた。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k1058/kobunkensiryo10.html