津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

雑花錦語集の内容(187~191)

2013-04-17 08:49:03 | 史料

     雑花錦語集(巻百八十七)

1 しゅ語体式
2 何知歌七言訣
3 五露相
4 五帯殺相
5 六悪相
6 六賤相
7 論婦人十賤歌
8 論淫相秘訣
9 論衣食刑尅秘訣
10 論尅夫尅子秘訣
11 養子秘訣
12 隠居聯
13 白石詩集序
14 白石詩草叙
15 奉送朝陽藪先生之京
16 奉呈南肥文学朝陽藪君
     
    雑花錦語集(巻百八十八)
1 飛登利古登
2 さし芽の事少々
3 祇園社司之事
4 婿に水をかくる事
5 謠番組目録當百番
6 蘭曲之目録并諸謠
7 渡唐船法渡條々
8 夢窓国師尊氏将軍教訓十三ヶ條
9 江戸新吉原五町之青樓門名
10 信州筑摩郡木曽上松駅寝覚浦鳥寺略縁記
11 川越名号略縁記
12 七日御出候節御供町之次第
13 智恵の板切形七枚
14 ガイ嚢鈔抜書
     雑花錦語集(巻百八十九)
1 大阪ノ陣の事
2 ものの始りの事
     雑花錦語集(巻百九十)
1 漢詩文
2 池辺家茶杯記
3 奉従西帰紀行
4 村井見朴療沢氏医按
     雑花錦語集(巻百九十一)
1 和歌
2 阿蘇参詣道々之記
3 梁塵愚業抄神楽歌

 

 

 

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隈部軍記 - 3 「隈府城陥事 付 隈部親安敗軍之事 」

2013-04-17 07:39:39 | 史料

夜明けれハ、成政か方より使者を以親安か陣ニ、軍評議を遂すへく候条、御出可有之旨三度迄、親安ハ相承 刻限も相違致し、成政が使も甚急なれハ、心得がたく、何レ城中ニ変有と覚たりと末言も終らさるに、外聞の者、城中ニハ多久大和大勢を引て成政ニ降り、富田一族も討死仕たる由を告来る、親永左こそあらめ、此上ハ討死する外なしと云所に、成政か使来り、早々御急御出有へしとそ申ける、親安ハ成政か使を搦捕り、首を切て陣頭に曝し、必至と極めて扣へける、城中ニハ多久降参・冨田一族が討死にて、親永も勇気衰へ、是非なく剃髪染衣の身となり、二男次郎親房を伴ひ降参せんと有けれハ、傍ニ有ける木場・神崎・高木・岡田・村神・山崎・大塚・出田・仲光・須賀山・池部の一族百五拾八人、言葉を揃へ、こハ云甲斐なき御事哉、降参まします共、陸奥守殿いかてか許容有へき、斯て親安の御陣ニ馳着申さんニ、何の堅事候へしと、親永を中に引包み、一文字ニ突て出、真地暗(マッシグラ)ニ打て掛り、鍔を割、鎬(シノギ)を削、白刃に火を散し、なんなく打破り、裏へ颯と懸抜け、親安の陣に馳加る、此時三拾弐人は打死す、二郎親房ハ冨田主膳・野田蔵(人・脱ヵ)・宗利主水・角田河内の主従五人、高塚と云所ニ上り、是より親安の陣に加ハらんとする所に、多久大和か弟須屋源五郎百余人ニて馳懸来る、富田・野田ハ宗利・角田ニ向ひ云けるハ、各は二郎殿の御供して急かるへし、我々ハこゝにさゝへて戦うへし迚、両人取て返し、各四尺計りの太刀を振、大勢の中に破て入、火花をちらし、死者狂ひに戦へハ、野田ハ近付者八人切伏る、富田ハ七人討取れハ、須屋かなハしとやおもひけん、鞭を揚て逃けるを。冨田追かけ馬より切て落す、大将討れ、残党全からす我先にと落行を、野田ハ声かけ、きたなし返せと競ひ掛つて呼ハれども、返し合する者もなく、跡をも見るすして走りける、富田ハ須屋か首搔落し、二人静々と引退く、宗利・角田ハ二郎親房を肩に引かけ、親安陣に馳着、しか/\の由を物語ける所、富田・野田ハ血刀をふりかたけ、須屋か首を提け来りけれハ、各驚き人間の業にはあらしと感しける、係る所に大軍鯨波を作つて押来れハ、有働大隅か曰、斯勝ほこつたる大軍に、纔(ワズカ)の勢にて戦とも、勝利を得る事堅かるへし、一ト先ツ城ニ御引有て然るへしと諌けれ共、親安あへて承引なく、群かる敵に打てかゝり、散々にいとミ戦ふといへども、なしかはたまるへき、つゐにハ親安討負て、従兵四方ニ落乱す、親安の家臣山鹿四郎と云者、成政か家人鈴木彦市と引組て彦市を取て押へ、已に首をかゝんとする所を、鈴木が下人折重て山鹿か首を取にけり、有働ハ数ヶ所疵を被るといへとも親永の側を離れす、馬の頭を引返し一先ツ城村の城にかへり玉へと諌けれ共、親安承引なく是非に討死せんと鞭を打て進みけるを、有働はたと白眼(ニラ)み、馳引を知らさるを良将とハ不申、軍の勝負ハ時の運にて候得ば、爰を軽々と引取城村の城に楯籠り防き戦うものならハ、其内にハ味方の勢も出来候ハん、はや/\爰を引せ玉へと諫をなし、死残たる者共ハ跡より続へしと呼ハり/\山鹿をさして引返す、成政ハおもひのまゝに勝利を得、隈府の城には城番を置、七月十八日(廿カ)口の成政出馬ハ廿六日ト有、帰陣は十八日有、如何 帰陣し、隈本の城に篭置たる所の人質を悉く追出す、其中ニ冨田安芸か末子棒千代とて十歳に成けるを、したしき者見逢て、安芸か妻山本に隠れ居けるに遣しけれハ、斜ならす歓ひ暫の程は忍ひ居けるか、行末いかなる憂目をや見んと安き心もなかれハ、せめては桑門の身ともなし親兄弟・其外一門の菩提をも弔せはやと、玉名郡西安寺 正応元年相良建立の地今ハ廃寺となる に連行、寄方なき狐にて候へは出家の身とも成し一門の菩提を弔せ度存候旨、宜敷御世話被下かしと涙を押へ懇にぞ頼ミける、和尚も涙を流し、某とても其古へハ同道より出し身なれハ人の上とも思ハれす、必こゝろに懸け玉ふな、某いたわり参らすへしと、情も厚き言の葉に、母は嬉しく、いとゝ涙にむせひつゝ、いとま申て帰りける

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