わが本籍地にある曾祖父の顕彰碑である。ある人からあの碑は御宅の関係者ではないかとお尋ねがあった。碑に書き込まれている姓からそう思われたのだろう、卓見に恐れ入ったことである。そして碑面にはどんな事が書いてあるのかとのお尋ねであるが、恥ずかしながら全く知らない。もう何十年も尋ねたことがなく、かっての城山下代(シヨウザンシモダイ)村(現熊本市下代)はすっかり新興住宅地に生まれ変わり、さて出かけるとなるとすんなり目的地に到達できるのかと心配である。
岳父上田久兵衛が住まいした半田(城山半田)は1キロにも満たない隣村であった。その地も尋ねてみたいと思っている。
曾祖父は維新後は岳父と行動を共にしていたようだが、久兵衛の刑死後はこの地を離れることなく、ささやかな家塾を開き糊口を凌いでいた。
護美公に仕えていた曾祖父はその招きまで断っている。地元にこだわったのは岳父・久兵衛と共通するところがある。
70年生きてきて詳細を知りえないでいるのはいささか不遜の感があり、碑面をあらため、拓本などにできないのか検討をしようと思う次第である。