津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■狭い空

2015-10-20 09:32:12 | 徒然

 満天雲なくとまではいかないが、朝からよい秋日和である。
ごみ出し(私の運動不足にかこつけて押し付けられている)に行って空を見上げるが、少々違和感がある。空が狭い・・・・
随分まぶたが腫れぼったい感じがする。また瞼下垂だなと直感した。
昨晩はある調べごとのために数時間読書をした。本を取り出しては目的の頁を数頁読み、また次の本で同様な作業を繰り返す。
PCの脇に六七冊の本が積みあがった。

鏡をのぞいてみると、眼の大きさが半分ほどになっている。
私は団子っ鼻で目が大きかった。その目が半分の大きさになろうとしているのだから、空も狭くなる。 
3月自画像を描いたがどうやら書直しが必要となってきた。
大きく目をひらく自前の瞼の体操を真剣にやらないといけないなーと思っている。
「PCがいけない」と奥方の大目玉が一番応える。 

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■然は然り乍ら

2015-10-20 08:41:53 | 熊本

 司馬遼太郎の「春灯雑記」に細川護貞様と一両日熊本で過ごされたことが書かれている。
(護貞氏の話ー肥後細川家のことども p49~134)
その中で司馬氏は江戸での細川家の言葉についてたずねている。当然標準語だとの答えを予想していた。
「家の中の言葉は昔から肥後弁でした。ですから私の肥後弁の方が、今熊本で使われている肥後弁より古いかも知れません」との意外な答えに、司馬氏は驚いている。
そして司馬氏は、忠利が入國に際し熊本城から加藤清正の墓所に向かい、「今からあなたのお城をあずからせていただきます」と挨拶したという護貞さまの説明をうけて又驚いている。
清正候を愛してやまなかった肥後人にたいする配慮であった。細川家が肥後弁を使ったというのもそういう気配りからきているのだろうと、司馬氏は推測している。
護貞様が使われていたという肥後弁がどのようなものであったのか、なんとも気になるところではある。

 先日外出した折、ある住宅の建築現場の前を通り過ぎた際、「そらそぎゃんばってん」という言葉が耳に飛び込んできた。
なんだか久しぶりに聞くような気がしたが、まさか護貞様がお使いになった肥後弁の中にはないだろうなと感じたことであった。
「それはそうだけれど」という意味だが、まさか「然(さ)は然(さ)り乍(なが)ら」とは仰るまいと思いながら、思わず一人苦笑してしまった。 

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