M家文書から三斎自筆の書状である。八代でのことであることは間違いないと思われるが、側近の志水次兵衛に当てたものである。
盆ニハ寺へ参為
惣見院殿焼香申候
や失念し候可書上也
次兵へ
「お盆にはお寺へ参り、信長公の為に焼香しただろうか失念してしまった」
八代市の市立第一中学校にあったとされる、織田信長菩提所の泰巌寺廃寺跡に、三斎が寛永十年(1633)六月三日に信長を供養して建てた五輪の塔が残されている。
八代に入って半年ばかりの内に建立されたことがわかる。
上の文書はその内容からすると、三斎の最晩年の頃のものかと思われるが、旧主信長を想う三斎の温かい心情が伺えてぐっと来る。