津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■菊池家の家紋の変遷

2015-10-11 07:39:06 | 家紋

 K家は菊池家の分流である。K家の系図を見ると大職冠鎌足公十二世・藤原兼良に遡っている。
この兼良の代に家紋を「みょうが」にしたらしい。ここでは「みょうが」としたが「姜葉」と書かれてその図が書かれている。
現代の「茗荷紋」である。その説明に次のようにある。
         此紋を姜葉(みょうが)ト号ス 實ハジカミノ葉也
         後代誤テ蓑荷ノ丸ヲギヤウヤウ(杏葉)ト云
         蓑荷ノ丸ハ花アリ 遠祖天■(児の旧字)屋根命高天原ヨリ姜(ハジカミ)ヲ 
         持来リ薬物ノ為ニ日向国ニ植玉シヨリ後代ニ家紋トス

茗荷紋と杏葉紋はなかなか区別するのが難しいが、ここでは杏葉紋には花がついていると解説している。
「家紋の辞典」をみると両者の違いは、「杏葉には花や葉脈がなく、先端が内側に曲がる」とある。上の解説とは食い違いがあるし
系図に描かれている「みょうが紋」のスケッチは先端が内側に曲がっており「陰抱き杏葉紋」そのものである。 

藤原兼良の五代の孫が菊池家初代・則隆だが、この代に家紋を変えている。説明にいわく
         則隆代ヨリ日ニ日脚ノ紋ニ改ム 祖神春日大明神ノ御告ナリ
         是春ノ日和光明温和ノ家ナリ 

そして五代目経直に至り鷹の羽紋に変わった。
         鷹ノ羽ノ紋此時ヨリ始ル 経直夢想ノ告有テ阿蘇へ参詣ス
         中途宮川ニ鷹ノ羽一枚流レ来ヲ経直取之云ク 今一枚流レ
         来ラハ旗ノ紋ニスベシト云処ニ 又一枚流レ来ル
         経直取之頂戴メ云ク 此レ阿蘇大神ノ賜ル処昨夜ノ■夢ニ應也トテ
         是ヨリ日脚ノ紋ヲ鷹ノ羽ヲ紋ニス 是ヲ揃鷹ノ羽ノ紋ト称ス 

日足紋を鷹の羽紋に変えたというのは、佐賀の竜造寺氏が日足紋を使っているので、これを嫌っての事ではないかと考えているのだが如何だろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする