この元々の文書は寛永十五年正月十五日付けの、松平伊豆守・戸田左門連名の「條々」と称する天草島原の乱の陣中掟である。
この「條々」がその日の内に有吉頼母により、主だった人たちへ回覧がなされた。確認をした人たちは花押を記して次の人へと回した。
花押自体は小さいためよくわからない部分もあるが、誠に貴重な資料である。
氏家志摩守殿
庄村隼人佐殿
南条左衛門殿
米田与七郎殿
新美八左衛門殿
藪 圖書殿
井関久馬助殿
谷 助右エ門殿
西沢文右衛門殿
山路太郎兵衛殿
山川惣右衛門殿
佐分利少左衛門殿
伊丹角助殿(黒田蔵人)
松野縫殿助殿
吉弘四郎太夫殿
槇島掃部殿
伊藤少三郎殿