我が家に同居していた母方の祖母が亡くなって47年になる。
昭和19年に私の父や祖父母が亡くなって東京から帰熊して以来、25・6年起居を共にした。
そんな我が家には「神棚」が祀られていたのだが、同居していた祖母が亡くなって後しばらくして「神棚」が突然消えた。
気づいた私が母に尋ねると、「あれは我が家の神棚ではない、お祖母ちゃんのものだ」という。
定かな記憶がないがどうも「神明造」であったような気がする。いわゆる「お伊勢さん」形式である。
神棚は燃やした気配もないし実家の伯父の許に送ったのかもしれない。母も死んで確かめようもない。
以来我が家には神棚はない。
最近川添登の著作を読んでいることを先に書いた。
またそのことを知った友人が、「熊本地震の後、いささか左がかった友達が奥さんに引っ張られて伊勢神宮に参拝したらしい。帰ってきたらえらい感激していて左から中道に宗旨替えをするんじゃないかと思うくらいだ」とびっくりして電話をしてきた。
かってどこかでそんな話を聞いたなと思うが思い出せない。あの伊勢神宮の荘厳さは人を変える。
その友人、川添登氏の光文社・カッパブックの「民と神の住まい(昭和35年初版)」を購入したらしい。
そして、「心の御柱は地中に埋まっていると書いてあるぞ。これは間違いだろう・・・」という。
そこで、「よくぞ気が付いたな」と褒めてやった。そして「講談社学術文庫(S54第一刷)」の同書では修正されていることを教えた。
川添氏の名誉のために付け加えると昭和35年当時は、まさに心の御柱は地中に埋められているものとされていた。
神宮はともかく20年ごとの式年遷宮の関係者なども口が堅く、その真実の程は一切知られていなかった。
光文社版において川添氏は、「林野全孝氏の説にしたがって、伊勢神宮内宮の心の御柱は、地中に埋もれているとあったのを、その後、地上一メートル余の高さで立っていることがのでそのように書きかえた」としている。
現在ではその説をもって広く知られている。