先にお預かりしたT家の古文書類の中の断簡の一枚である。左端に「小代下総守」とあり、これは加藤家侍帳の断簡であることが判る。
中央に「尾崎藤市」という名前がみえるが、活字化された時習館本・加藤家侍帳に同人の名前があることは承知していたから、特に驚きもしなかったがこんな形でお目にかかるとは思いもしなかった。我が家の六代目・又之允の室が尾崎藤一(市)の娘なのだが、尾崎家の先祖附をさかのぼると、加藤家侍帳の同名藤市に遡っている。
「弐百六拾四石五斗九合」何ともリアルな知行高ではあるが、和紙に手書きされたこのような史料での出会いは、特段の感慨がある。
建築評論家・川添登の名著「伊勢神宮ー森と平和の神殿」を読み直してのち、伊勢神宮や出雲大社についての著作を探していて見つけ出した本である。
建築を生業としてきたものとして、伊勢神宮や出雲大社、諏訪大社の「柱」のあり様は不可解であるがゆえに大変興味深い。
本著はそんな私のいまだ晴れない疑問に答えてくれるのではないかと注文した。
これが面白かったら同氏の著「伊勢神宮―杜に年を祈る」「アマテラスの首飾り」も読んでみたいと思っている。
「日出づる国」の山と海: 大和・ 出雲・ 伊勢 ・「東西」「 天地」の信仰軸 | |
伊藤 通子著 サンライズ出版 |
内容説明
「日出づる国」日本の「東西観(東西信仰)」と、天地を結ぶ「柱を立てる」祭祀は、どのように生まれ、受け継がれてきたのか。纒向遺跡や土偶「縄文のビーナス」、諏訪大社の御柱祭、出雲大社の高層神殿、伊勢における夏至と冬至の太陽などから、そのルーツをたどり、それらが生み出した生活文化「神道」と稲作との密接な関係にふれるダイナミックで画期的な論考。
目次
序章 「日出づる国」へようこそ
第1章 「日出づる国」の成立
第2章 「太陽を仰ぎみること」―信仰のルーツ
第3章 「柱を立てること」―もう一つのルーツ
第4章 「柱を立てること」―その発展
第5章 出雲大社―西の聖地
第6章 伊勢神宮―東の聖地
第7章 生活文化の中に固有信仰―神道