津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本弁講座

2017-10-31 13:56:29 | 熊本

 ある本を読んでいたら、次のような文(?)が登場した。

      こんどんとんさんなえじいええげなばい
 
 さてどういう意味でしょうか?
これは重賢公が兄君・宗孝公の死去後遺領相続された後、熊本で御百姓衆の間で言い交された会話である。

      こんどとんさんえじいええげなばい

熊本では「~の」を「~ん」と言うから、こんどん=こんどの(今度の)である。
「~な」は「~は」、ゆえに、とんさんな=とんさんは(殿様は)となる。
「えじい」は「怖い、恐ろしい」と解されているようだが、ここでは「恐ろしくすごい」とでも解釈すべきか・・・
「ええげな」の「ええ」は「良い」、「げな」は「~ようだ」
「ばい」は「〜のだ。〜だぞ。〜ぞ。」

つまり  「今度の殿様はすごく良い方のようだぞ」 ということになる。
若い熊本人にはもう判らないかもしれない。

百姓衆の噂通り、重賢公は天下の名君として名を残された。

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■明和繁雑帳・會所舊記から(8)

2017-10-31 11:17:53 | 熊本地震

 八六七
卅八
一御焼物・御料紙、熊本へ持出候節之事
  此儀、御焼物師・御紙漉共ニ御扶持方を被下置、代物手間料等相應ニ被渡下儀ニ御座候處、熊本へ持出之
  候、御差紙を以被差越、賃銀等は不被渡げ、年中束候ては餘計之夫數ニて宿々迷惑仕候、大津御蔵御米熊本
  へ御付取被成候砌、駄賃米被渡下候由ニ御座候間、右之品も夫賃銀被渡下候様有御座度奉願候
[上ノ付札]「此儀、何も夫銀被渡下候條、一ヶ年分取束、翌正月ニ至り御惣庄屋より請取切手御勘定所え差出
      候様可及達旨候事」

 八六八
卅九
高瀬御蔵御用継通皮籠之事
  此儀、高瀬御蔵より日々坂下會所へ継來候ニ付、早速木葉町迄継送相達申儀ニ御座候、坂下之儀格別人馬継
  之所ニても無御座、右継状持夫立用之節も無御座、會所へ手永抱ニて召仕候詰夫ニ持セ差立申儀ニて迷惑仕
  候間、是已後右御蔵定日雇又は御雇夫を以、木葉町え直ニ継送り候様被仰付被下度奉存候
[上ノ付札]「此儀、明和七年八月被及御達、御蔵中仕ノ者木葉迄持越候ニ付、其通可被相心得候事」

 八六九
四十
一南郷栃木御入湯之御侍衆・御寺方、御歸之節主人馬之事
  此儀、御指紙付ニて御入湯ニ御越被成候御侍衆・御寺方、御歸之節駕夫・荷物夫幷乗懸荷物等、員數湯亭え被
  仰聞候上、河後田村庄屋え相達、庄屋共より近村え人馬當付差出申候、前々より右之通仕來申候、間ニは人
  馬御差紙御持参無御座候得共、御差紙ニて御入湯之御衆えは相渡申儀ニ御座候、年中積候ては餘程之人馬數 
  ニて御座候、御定之通之賃銀は御渡被成候得共、田畑根付、根さらへ、苅収納之節は餘計之賃銀を出し、日
  雇人馬を差立申候も有之、殊之外迷惑仕候、御出懸と違御歸之砌は葛活・蕨・薯蕷・鶏卵・其時々之土産物
  を出シ申儀ニ御座候、御仁ニより候ては町人百姓召連御一所ニ被召置、右躰之者共荷物迄も付越申儀ニ御座
  候、纔三四ヶ村ニて右之人馬差出申候ニ付、大切成ル時分作方手入抜申候て種々迷惑仕候間、何とそ其時々
  相應之賃銀ニて相對ニ御雇被成候様ニ、被及御達被下度奉存候、尤湯亭ニ世話賃御渡候ハヽ、湯亭世話を以
  雇出申ニて可有御座候と奉存、湯亭世話届兼候ハヽ、湯銭集之内より世話人壹人御抱させ被成候ハヽ此者
  より村々打廻雇立可申と奉存候、右之儀難被為叶御座候ハヽ、湯差紙御一同御郡間より人馬御差紙御出
  可被下候、尤助人馬無シニ御極被下候様有御座度奉存候、左候て御差紙前之人馬ニて不足仕候分は、相對御
  雇ニ相成候様有御座度奉存候、夫共ニ御差紙前之外御雇難成と有之御衆は、荷物懸合御定之通斤目より重
  キ分殘置候様被仰付可被下候、山坂難所ニて御座候得ハ、駕夫も六人程無之候ては相成り不申儀ニ御座候、御
  差紙前之外ニ助人馬出候様ニ御座候ては、際限も無御座候間、駕夫・荷馬共ニ無難澁持越候程之員數御積を
  以、御差紙御出被下候様奉願度奉存候、近比恐多儀ニ御座候得共、駕夫員數、荷物斤目其外萬端共、湯本え
  御定之板札御建被為置被下奉存候
[上ノ付札]「此儀、明和九年・安永二年御達之通ニ候事」

 八七〇
四十一
一小國杖立湯所え被成御越候御入湯之熊本御家人中幷諸役人衆之事
  此儀、御客屋一軒被建置、其外は都て御百姓共自分作事ニて御座候、尤田畑も聢無御座、漸屋敷高迄所持之
  者多、年中入湯人え宿借し、其助力を以家内をも育可也取續居申候、然處、熊本御入湯衆時ニより三頭又は
  五頭も一同ニ御越被成儀間々御座候、前廉ニ御状参候ハヽ湯所近所え宿相極置呉候様ニと申参候ニ付、致
  吟味、御客屋差支申節々は、御百姓借宅え入込居申候旅人を右日積を以脇方え出置申候處、間ニは五日七日
  も延引ニて御越之衆も御座候、左候得は一七日も御入湯ニ十二三日歟又は廿日も借家を明申候て、借家主共
  極々迷惑仕候、其上入湯人は二月三月四月、秋は七月八月九月、右月々別て入込多御座候、熊本より御越之
  衆も右之時分多御座候ニ付、大勢入込居申候節は宿も差し申候程ニ御座候得共、御帳面等参候得は宜敷場所
  え借家を明、御望ニよつて上下四人五人も御座候得は、八疊敷二間も御宿ニ極置申候儀ニ御座候得共、間ニは
  宿銭不被召置又は纔宛被召置候御衆も御座候ニ付、旅人召置申候宿銭之半高も無御座、宜敷借家所持之者
  共別て及難儀申候、依之熊本其外御侍衆・御役人衆え借渡申候宿之儀、旅人え借渡候通之賄物・諸道具差出、
  八疊間一七日ニ付銭六匁宛被渡下候様ニアリ御座度奉願候、尤宜敷道具は所持不仕候、且又旅人儀一日一夜
  ニ付、宿銭十六銅宛相極居申候、是は五人三人も組合申候者共、二組も又は三組も八疊一間ニ召置申候様
  相極置申候ニ付、只今迄之通ニて借家主共勝手ニ宜御座候間、旅人之儀ハ只今迄之通被仰付置日下候様、有
  御座度奉願候
[上ノ付札]「此儀右同断」

 八七一
四十ニ
一同所え御越被成候御入湯人馬之儀は、南郷湯之谷之通相對賃銀ニ被仰付被下候様ニ奉願候
[上ノ付札]「右同断」

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■4/18は熊本にあり

2017-10-31 07:13:38 | 歴史
昨日メディアは、歴史的資料を対象にしたユネスコの「世界の記憶」(旧・記憶遺産)に、群馬県高崎市に残る古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」が登録されたことを報じている。
古代石碑は日本に18基存在するそうだが、そのうちの4基が熊本県宇城市豊野(旧・豊野村)に残されている。
浄水寺(じょうすいじ・きよみずでら)の石碑群だが、2015年3月国の重要文化財に指定された。

宇城市の浄水寺碑など国重文指定へ 仏像3体もの写真、図解 右から燈籠碑、如法経碑、寺領碑(宇城市HPから)

文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/238881
   ■南門碑
    延暦9(790)年
    造寺碑(寺を建立した僧・奘善[じょうぜん]の決意などを記す)
   ■灯籠竿石
    延暦20(801)年
    寄進碑(奘善の後継者薬蘭[やくらん]の名や法華経を記す)
   ■寺領碑
    天長3(826)年
    寺領碑(寺領の範囲を記す、条里制の地割りを示す「十二条苗瀬里七山田七段七十二歩田」の文字もあり)
   ■如法経碑
    康平7(1064)年
    如法経塔(奘善の後継者薬蘭[やくらん]の名や法華経を記す)

熊本地震で被害を受け、南門碑は資料館に移設、ほかの三碑は現場で養生された状態である。尚妙法経碑の笠が落ちている
レプリカに替える話があるようだが、早急に願いたいものだ。
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