津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■杉塘の桜

2017-10-21 14:29:35 | 歴史

 冨田紘一氏著「古写真に探る・熊本城と城下町」から引用させていただいた。二の丸御屋形の北西角から360℃のパノラマで撮影された7枚のうちの1枚である。
蛇行する井芹川に橋が見えるが「熊本城下古図」を見ると「ドバシ」と書き込まれている。
京町の観音坂から本妙寺田畑の中を通る「清正公道」がこの橋につながり、牧崎村に達している。
牧崎村には細川内膳家の屋敷があるが、この写真の左手先に長い塀に囲まれたそれらしい建物が見えている。(写真57)
内膳家はもともとは二の丸にあったが、本山に新しい屋敷を作った齊茲が、数年後この地に新たに屋敷を構えるために内膳家は移転を余儀なくされた。
齊茲は11人の子供があるが殆どが逆縁で亡くなっている。最後の子供が「耈(こう)姫」である。
年を経ての子供だけに齊茲の可愛がり様は察するに余りある。
かわいい姿は絵師や齊茲自身の筆により書き残されており、その可愛さにはほっこりさせられる。
顔つきが齊茲の実父・宇土藩主の細川興文によく似ていると齊茲が驚いている。

「熊本城下古図」には、この杉塘の杉並木に桜が植えこまれてることを記している。
耈姫様も新しい二の丸屋敷から、この杉塘の桜を眼下にされたことであろう。
ちょうどその時期、桜を倒す不届き物があったらしく、度支彙函には「文政八年四月八日陣橋より牧崎迄桜倒犯人とりしまりを在御家人及村人へ申付」とある。
文政九年耈姫はわずか四歳で亡くなった。

井芹川の流路が変わり、市電の開通に伴い道路状況はすっかりかわり、現在「杉塘」の名は市電(路面電車)の停車場にその名残をとどめるばかりである。

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