津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■鳥たち

2020-04-05 21:07:27 | 徒然

    昨日は散歩に出ると川沿いの道路上で烏が「ひわ」と思われるカラスを襲っているのに出会いました。
慌てて走り寄りカラスを追い立てましたが、その鳥は目を襲われていて瀕死の状態です。
カラスは電線に止まりこちらを伺っています。石を投げるしぐさでカラスを追い払い、その鳥を植え込みの中に隠しました。
気になりながら散歩を続けました。

以下の写真は今朝散歩の途中で、望遠でとらえた鳥たちです。昨日のことが思い出されておもわずシャッターを押しましたが、慌ててのことで相変わらずのピンボケです。
帰りに気になって昨日の鳥を隠した植え込みを見てみましたが、姿が見えません。
とても生きて逃れたとも思えず、再びカラスに襲われたのかもしれません。かわいそうな事をしました。

                                                                                 

                                                                                                                                                                                                                                                             

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■「熊大の本棚」から

2020-04-05 15:33:11 | 書籍・読書

 熊本大学の広報誌「熊大通信」75号に、「熊大の本棚」という特集が組まれていて5点の本が紹介されている。
その中の気になる二点をご紹介しよう。

建築の森・熊本を歩く
 熊本大学大学院先端科学研究部・田中智之教授(TASS建築研究所主宰)の著作。

    建築の森・熊本を歩く   クリックすると新しいウィンドウで開きます 田中智之教授とドローイング    

内容紹介

熊本県では「くまもとアートポリス事業」が25年以上も続いており、
建築界を賑わす現代建築が各地に建てられているほか、明治の歴史遺産や
DOCOMOMO選定の近現代建築も数多く、国内外から注目される建築都市である。
本書ではこの熊本を「建築の森」と称し、70件の建築物を、
色や構造、窓、境界、素材など35のテーマで紹介する。
テキストとともに、壁を透視し、建物の構造や内部を細やかに描き出す
著者独自の透視図によって、これまでにない建築の読み解き方、楽しみ方をいざなう。

■主なテーマ
・うつろう……熊本中央警察署×熊本南警察署熊本駅交番
・つむぐ………小国ドーム×芦北町地域資源活用総合交流促進施設
・のぞむ………熊本県立あしきた青少年の家×JR熊本駅白川口(東口)駅前広場
・ととのう……馬見原橋×熊本駅前立体横断施設
・ぼかす………清和文楽館・物産館・郷土料理館×PAVILION
・おりたつ……九州新幹線新水俣駅×美里町林業総合センター
・あやなす……熊本県医師会館×熊本市医師会館・看護専門学校
・かえる………芦北町立佐敷小学校×宇土市立宇土小学校
・つなぐ………旧小国町立西里小学校×旧津奈木町立赤崎小学校
・いきる………熊本県立美術館分館×孤風院
・まとう………ジェーンズ邸×苓北町民ホール
など計35テーマ、70作品を紹介。

 

踏絵を踏んだキリシタン
 熊本大学人文社会科学研究部・安高啓明准教授の著作
   余計事:ブラタモリ「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」で説明役を務めた。
         その説明の一端がこの著書からもうかがえる。

    踏絵を踏んだキリシタン (歴史文化ライブラリー)
  

内容紹介

キリスト教信者摘発のために始まった絵踏は、なぜ形骸化し年中行事となったのか。絵踏が行なわれていた長崎をはじめ九州諸藩が抱える事情や作法・形態・手順、踏絵素材の変更などを明らかにし、キリシタン捜索手段から信者でないことを証明する手段への変容過程を探る。悲劇的文脈で語られてきた従来の絵踏観に一石を投じ、潜伏キリシタンの姿に迫る。

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■細川小倉藩(193)寛永四年・日帳(正月廿六日~廿七日)

2020-04-05 06:26:43 | 細川小倉藩

              (寛永四年正月)廿六日~廿七日

         |               
         |     廿六日 矢野少右衛門
         |
         |   (延俊)
高台院内へ木下延 |一、木下右衛門様ゟ、京ニて政所様御屋敷うんしやういん殿へ急度寺嶋ゟ届候へとの 御意ニ付、御
俊書状ヲコトズカ |  船頭東次介ニ渡申候、左候て、大塚忠兵衛ニ渡可被申由、申候而被渡申候、則寺嶋方へ書状遣申候
ル        |
忠利書状三斎宛  |一、明日 三斎様へ此御文箱被進候間、御飛脚ニ持せ可上旨ニ而、飯田才兵衛被持出候事、
大坂ヨリ積下ル銀 |一、大坂ゟ銀五十貫目、安田久兵衛つミ下被申候、就夫、本切手此地ゟ上せ申ニ付、久兵衛大坂仕置
五十貫ノ本切手  |  候かり切手被差下候を、久兵衛ニ返遣候事、
         |                               大塚長庵内
光尚書状ノ請取  |一、御六様ゟ長庵所へ被下候 御書、慥ニうけ取申候、以上      大田理兵衛(花押)
惣庄屋等五十石以 |一、御惣庄屋、其外何も御知行被下候時、五拾石ゟ内之分は不及 御書出、御奉行中ゟ書出可遣旨ニ
下ノ知行宛行状ニ |  候付、今度田川郡御惣庄や赤村忠左衛門ニ、御知行弐拾石被遣候、就夫、加藤新兵衛・栗野伝介
ハ忠利ノ書出ナシ |  書出ニ、田中■兵庫助・浅山修理ニ加判仕候様ニと被申越ニ付、か様ニ候て見苦敷候間、いかゝ
知行方奉行書出ニ |  書候て可然哉と、飯田才兵衛と談合仕候処ニ、則案文をかき、如此候て可然哉、但、今迄有来候様
惣奉行加判ス   |  ニ可被也候、 御意ニハ如何様とも御差図ハ無之由、被申ニ付、又国遠道倫へ談合候処ニ、道
         |  倫被申候ハ、此段ハ冣前 御前ニて相究、御奉行衆迄ノ御書出ニ、新兵衛・伝介別帋目録被出
         |      此段又
         |  筈ニ候、■新兵衛・伝介ニ申談候ヘハ、此両人被申候ハ、如何様とも人ノ見申ものにて候間、能
         |  様ニ可被成候、我々ゟハ目録迄出シ候へと、 思召候ハヽ、其旨ニ可仕由ニ候ニ付、浅山修理・
         |  田中兵庫書出ニて、新兵衛・伝介ゟハ目録被差出筈ニ相究候事、
京都吉田屋敷番交 |一、吉田御屋敷ニ御番ニ被召置候歩之御小姓、幷御長柄衆替ノ事、
替        |
         |正ノ
忠利書状三斎宛  |一、三斎様へ 御書被進候、但、明朝御食ゟ内ニ着可仕由、飯田才兵衛奉にて、 御文箱被持出候
         |  を、安井太右衛門与ノ谷小八郎ニ渡、遣申候、七つを打、少過候而被参候也、
         |

         |               
         |     廿七日
         |
         |           (喜左衛門)(與兵衛)
深野父子闕所物之 |一、深野父子闕所物之帳、金子・中神ニ渡置候へと、吉田三十郎方へ申渡候也、
打シ獺ヲ台所へ上 |一、国友半右衛門与ノ帆足十左衛門、田川ニて獺一つうち候て、持参候を、則御台所へ遣シ、あけ候
         |  へと申渡候也、
         |                                       (政時)
三斎へ鹿ノ腹子ノ |一、三斎へ鹿の腹籠り之黒やき、箱ニ入被進候、幷 御文箱壱つ、又長舟十右衛門・貴田権内所へ
グ        |  の 御書箱壱つ、
豊後府内横目ヘノ |一、苻内御横目衆御両人へ 御文箱弐つ、
文箱  誅伐人数 |    可被成御誅伐旨被 仰出人数之事、
         |                  田川郡赤村ノ
         |  一、御中間惣左衛門 一、同七蔵 一、太兵衛
         |  右之分明日可被成御誅伐旨ニて、人数書付、上申候内ニて、名ノ下をのかミを御引さき被成候
         |  也
         |

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