津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■再登場「肥後藩国事史料・人名索引」

2020-04-19 15:26:05 | 史料

 嘉永6年(1853)から明治4年(1871)まで19年間の肥後細川藩の史料を集積した「肥後藩国事史料」(全10巻)は、一つ肥後細川藩にとどまらず、この時期の日本国の政治の大きな流れを知るうえで稀有な史料として評価されている。
かって「たまきな出版舎」の平田稔代表のHPに、その「人名索引」が紹介されていた。
この時期のある個人の事跡を知るうえで、この「人名索引」は誠に有難いものであったが、しばらくしてサイトから消えていた。
ある機会に御目にかかったときに、再度UPしていただけないかと懇請したところであったが、脈がない話ではなかったようだ。
今般、わざわざお電話を頂戴し、再度UPされた旨をご連絡いただいた。

                「肥後藩国事史料」記載人物50音順索引」

「改訂・肥後藩国事史料」の本文見出しに記載された人名を、「あいうえお」の50音順に新たに体裁を整えられて、満を持して紹介されている。
どの史料もそうだが、「人名索引」のあるなしは、大いにその資料の価値を左右すると考えるが、これは並大抵の努力では為しえないことである。
氏の人知れずのご努力に大いに敬意を表するともに、ここにご紹介するものである。



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■ホームセンターは大賑わい

2020-04-19 11:33:37 | 熊本

 数日前の風の強い日に図書館に出かけた際、帽子が風で飛ばされて川に落ちてしまった。
替りの帽子を求めようと思っていたが、買いに出かけるのが億劫で、数日は脳天をお天道様にさらしながらの散歩を続けた。
散歩コースの近くにホームセンターがあり、ここに帽子が売ってあったな~と、今日は散歩の途中で寄り道をした。
100台以上はゆうに収容できる駐車場がごった返している。
殆んどの人がマスクを着けている中、私はハンカチで鼻口を押えながら入店、品数が少ない中大いなる妥協をして帽子を選ぶ。
レジの所では、2m毎にマーキングがしてあり、是も長い行列である。
会計を済ませて、園芸コーナーで先日みた鉢物を確認しようと思ったが、こちらも意外な人出があり、入店せずに退散した。
不要不急の買物かどうかは判らないが、この賑わいには驚いてしまった。熊本は又2名の感染者が出た。
終息は程遠いことを感じさせる。皆様、心して過ごしましょう・・・

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■藩政首脳は大忙し

2020-04-19 09:47:52 | 歴史

 宝暦の改革以前は、種々の決済はこれを行う要職者の邸宅で行われた。結果その家の家司等の力により、これらの業務が停滞するなどの支障がうかがえる様になった。
城内に奉行所が設けられ、月番家老以下要職者は出勤してここに詰めることが求められた。
右手は薬研堀を挟んで二ノ丸、左手は南坂(現・行幸坂)、左下の櫓門は「南大手門」である。右上が未申櫓、右下に元太鼓櫓が位置する。図下「北」と書かれたところに「西大手門」が有る。

    

 藩政の最高決定機関として「会議」というものがあり、家老・中老・大奉行・大目付・奉行・用人・目付これに議事進行にあたる佐弐役2人が参加して行われたという。
会議座席図(一例)が以下のようなものであるが、この場所は通常「家老の間」と呼ばれている奉行所図のの場所である。

          
                                     鎌田浩著「熊本藩の法と政治」から引用。

 右手にある部屋は藩主の間である。(〇の表示がある)但し、「会議」に藩主の出席はない。
「会議」に上程される議案については、「窺日」「召出日」「寄合」などが行われた。会議前には「内会議」が行われて本会議に臨んだ。藩主在国時は毎月6・17・26日、在府時は8日が定例となっている。
「会議」で審議された事案は又「復議」(朔日・10日・21日)にかけられ決定に及んでいる。
これ等の要職に在る人たちは、奉行所に出仕し、毎日のようにこのような審議が行われた。
上の図は天保14年~弘化元年のものだと比定されている。

 

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■家紋つれづれ・立波紋

2020-04-19 07:54:02 | 家紋

                         「家紋 二頭波」の画像検索結果                 
 御存知斉藤道三の家紋・二頭立波紋である。何と素晴らしいデザインだと感心させられる。
NHK大河「麒麟がくる」に於いての道三は、本木雅弘のストイックな演技も相まって、中々好感が持てる。
衣装デザインの大御所・黒沢和子氏による派手/\な色使いには大いなる違和感を感じるが、その中で道三の衣装の渋さが際立ち、この家紋も異彩を放っている。
この家紋、道三のオリジナルだという話があるが真偽のほどは如何だろうか。

 熊本地震後、益城町を訪ねた際倒壊したお宅の瓦礫の中に、そのお宅の家紋(?)が大きな額縁に入れられているのを発見した。
座敷の鴨居にでも掛けられていたものであろうか。遠目で定かではないが「小栗立浪紋」ではなかったのかと思う。
家紋はそのお宅の出自をたどる貴重なあかしだが、このお宅はまさか細川藩士・小栗氏のご子孫ではないかと考えたが、今では建物は撤去され確認するすべもない。
忌まわしい地震から四年がたち、益城の町も大きく変わりつつある。

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