津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■志方半兵衛言上之覚・釈文‐ 20(原文26分)

2020-04-15 21:18:23 | 史料

26        処、富岡之城ゟ三宅藤兵衛おとな共三人其外
         はて連もんとニ而無御座百姓共御案内者出候由
         申上候 左様ニ候は天草之一揆之人数何程御座候
         との儀又一揆之在所は何として居候哉 此ニ色は
         右之案内者共ニ尋候而可申上儀此事何共不申
         上候事 私半兵衛越度ニ而以来之ためニ候間此由可申
         進候 但此中一揆ニせめられて居申者ニ候間慥ニハ
         知申間敷候へ共大方ハ知か申候 中ニも頭百姓共ハ
         可存儀と被 仰下奉得其意御尤至極ニ奉存候
         加ら津勢も 立允様被成御着之こと承罷出
         申候 所之百姓は肥後・さつまへにけ残之者は南
         浦之山へ上りい申候 立允様御着被成已後罷出
         道之御案内者可仕由申上候 一揆い申候城中又人
         數一切存不申由申候 冣前八代へ被 仰下候ニ天
         草へ参候を敵味方之人数之員数可申上候旨
         被 仰下候 其上八代御留守居前ゟも人を付置
         尋申候へ共知不申故言上不仕迷惑仕候事

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■犬のふぐり

2020-04-15 20:49:51 | 徒然

 今日の散歩のコースの途中にあるホームセンターの横に在る、園芸店をちらりと覗いてみた。
ここもコロナの影響があるみたいで、お客さんの数は減っているようだ。
山野草のコーナーを眺めていたら、「いぬのふぐり」らしいものがおいてある。ポケットをまさぐったがお金がない。
又出直せばよいと思って帰途に就いた。

気にしなければ「いぬのふぐり」というネーミングも何となくかわいいが、その名の由来を聞くと女性にはいただけないだろう。
命名者はあの有名な牧野富太郎博士だというが、「いぬのふぐり」の種子が入った形が、犬のそれによく似ているからだという。

                  イヌノフグリ果実「三河の植物観察」サイトから引用

学者としてのまじめさから来た命名だと聞く。「ねこのふぐり」であれば可愛いのにと思ってしまった。

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■爺様のステイホーム

2020-04-15 17:32:10 | 徒然

 爺にとってはコロナ以前から、日々の生活はステイホームに近い状況だったから、「何のことはないさ」と考えていたがどうも勝手が違う。
毎日の散歩以外の外出といえば一週間ほど前コンビニに出かけ、月曜日に図書館へ出かけたくらいである。
散髪も怖くて、「司馬遼太郎的頭髪状態」である。歩いて10分もかからない病院行も控えているので現在「薬ぎれ」状態だ。
つまり、血圧・血糖関係の薬がないという状態が続いている。
具合が悪いことに、血圧計まで壊れてしまってここしばらく測定も出来ていないが、どうも高止まりしている気がする。
いよいよ勇気を出して病院行を決行しなければならないようだ。
散歩もあまり時間が早いと一日を持て余してしまうから、ここ最近は10時くらいが定刻である。
その他はただひたすらにタイピングと、資料の整理と読書である。メールや手紙が来ると返事を書くのも、余り苦にならない。
ベランダの植物に時折水をやり、植え替えをしたり、雑草をつまんだりしているが、30分も消化しない。
日頃はニュース以外ではTVを見ることはニ三の番組を除いてほとんどないのだが、最近はBSなどの番組表を見ながら眺めてみようかなどと思っている。
この間整理した本棚は、元の木阿弥状態に戻りつつあるし、資料の所在を明らかにするためこちらに力を注ごうと思っている。
史談会の方も4月は休会となったし、5月も開催は危ぶまれている。
しかしこれも二回ほどは講師がすでに決まっていて、史料つくりに負われることもない。
有り余った時間、巷の爺様達はどう過ごしているのか、不仕儀の思えて仕方がない。
そろそろスクワットなど致しましょう。


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■細川小倉藩(202)寛永四年・日帳(二月十三・四日)

2020-04-15 07:04:09 | 細川家譜

                      (寛永四年ニ月)十三・四日

         |
         |    十三日  加来二郎兵衛
         |
左官借銀未納   |一、御左官深田弥市去年御供ニ罷上候時、御仕事手間料ニ指次可申由申ニ付、御銀子かし申候処ニ、
         |  内過半去年七月ニ上納仕、残分于今上納不仕ニ付、利堺ゟ内ニ御ふち方を以可被引取由、金子・
扶持方ヲ押ウ   |  中神両人へ申渡候処ニ、はや当月分ゟ彦進・甚丞ゟ御ふちかたおさへ申由候事、
日向ニテノ新造船 |一、日向ニ而出来仕御舟、三艘乗廻ニ遣候処ニ、はしり道具已下ハ此方ゟ持参候へ共、ほ無之由ニ
廻漕ニはしり道具 |  付、さき殿ニて帆ノ用意候ハヽ、又逗留も可仕候間、如何候由申候ニ付、此地ニてむしろをか
持参    蓆帆 |  い、帆をこしらへ遣可被申由を、三宅清兵衛ニ申渡候事、
         |
女門ノ出入幷菜園 |一、才兵衛与御物書衆、女御門之外へ出し申切手、幷さいゑんはへ女出申札、同前ニ各判形にて可被
場出入切手    |  差出通、住江甚兵衛・高田九郎右衛門方へ、書立を以申遣候事、
         
         |
         |    十三日  加来二郎兵衛
         |
         |
少納言ノ給分扶持 |一、式ア少輔殿ゟ、市助を以被仰聞候ハ、 少納言事、拾石ニ五人ふち可被遣旨、 御出船前かと
長岡孝之ヨリノ心 |
付已ニナシ    |  被 仰出候、去五日ニか御礼被申上候、中書様ゟもはや御心付も無之、只今難儀之仕合ニ候間、
         |  御礼ハ右之日限ニ相済候へとも、大かた二月十日ゟ御扶持方相渡可申通、被仰聞候、御返事ニ申候
         |  ハ、少納言殿御ふち方御切米之儀、無紛右之分ニハ御座候へとも、御出船之刻、御印取申儀取御
         |                                        〃
         |  前御事、参候而不罷成候条、 御印無之ニ、何人ふちと定テ相渡申儀は不罷成候、式ア殿ゟ被仰
         |  聞、殊ニ少納言殿へ拾石ニ五人ふち可被遣 御意ム紛候間、先御米をかし可申候、利さかいゟ内
         |  ニ、江戸へ得 御諚、 御印を取、其時何人ふちの差引算用相澄シ可申と返事申候、此儀江戸へ
         |  申上候時ハ、式ア殿加有御談合由申候、
瀬戸五兵衛ノ件他 |一、小田五郎兵衛・宮木五郎助両人、瀬戸五兵衛ニ付、御郡へ遣候事、但、如何様ノ儀ニ懸り候由、
言無用      |  さた被仕間敷由、申渡候事、
古文箱      |一、古キ 御文箱廿五、皆川治ア丞持せ被遣候事、
当地ニ親類ナキ松 |一、松井少吉・生田又助・森長助・深沢百助此四人之衆、当地ニ親類無之ニ付、知行物成むさと成可
井少吉等知行物成 |  申候条、御蔵納同前ニ仕へく候、此物成つかい候時は、たれにても奉り人の堅書物取置候か、不
         |                                       
ノ処置      |  然は、 御諚之外つかひ申ましき旨、湯浅五郎兵衛奉書、加藤新兵衛・栗野伝助へ■渡候事、
三斎へ桐油ノ頭巾 |一、三斎様へ桐油の御づきん弐つ被進之候、御使瀬崎左助ニ 御書・御つきんの入候はこ相添渡申候、
         |                             (辰珍)
進上       |  但、御小人壱人付遣候、御づきん入申箱はり申所ニハ、津川四郎右衛門殿印判御つき候、但、
         |  上田忠蔵奉りニ而仕御づきん也、
         | (中津郡)                 (快寛)
筑前通行ノ與介入 |一、馬場村之與介筑前へ通ひ仕之由、御郡奉行佐方少左衛門・蓑田甚丞方、與介白状持参ニ付而、則
牢     新牢 |  與介事新籠ニ入置申候事、     これは細川氏豊前入国以来の黒田家との不和に起因する通行禁止の措置によるものである。 
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