(寛永四年正月)十五日~十八日
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| 十五日 矢野少右衛門
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|一、大坂へ差上せ候御小早、罷下り候、舟頭井上十右衛門と申者ニ而候事、
|一、右之御小早ニ而、江戸ゟ之御飛脚、弐人罷下候事
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| 十六日 米田甚左衛門
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富来浦ヘノ貸米 |一、国東郡於富来浦ニ被借下御米之事、
| 合弐百五拾石は鉉懸斗也 知行高千石分 百石ニ付、弐拾五石宛
| 右ハ、来年之秋加四わり返上可仕所如件、
| 刑ア印(西郡清忠)
知行主伊藤金左衛 | 寛永弐年十二月十八日 助進印(横山重嘉) 伊藤金左衛門尉
門借状案 | 清右衛門印(浅山)
| 金左衛門知行所へ
| 参候間、我等判仕候、 (文)
| 伊 藤 又 五 郎
借米方幷切米扶持 | 松本彦市殿
方奉行宛 | 豊岡甚丞殿
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いや切手故裏判ヲ | 右乗切手ニ而候故、豊岡・松本所ゟうら判ヲけし被越候間、則判をけし候て、的場平三
消ス | 郎持参候間、則返し申候、
| 三
中津造作料ノ目録 |一、野田小左衛門ゟ、寛五月八日ニ、中津造作料之目録二つ預り置申候、今日返し申候也、
規矩郡奉行ヨリノ |一、平井五郎兵衛・小崎次兵衛所ゟ、生鳩三つ持せ差越候、御鷹匠衆へ相渡候へと、申付候事、
生鳩ヲ鷹匠へ渡ス |
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| 十七日 矢野少右衛門尉
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忠利風呂ノ用意ヲ |一、苅田ゟ、御歩小性山本喜兵衛為御使被下候、御風呂ヲ申付、燃せ可申由、被仰下候、苅田
命ズ | をハ五つ時ニ可被成 御発足之由、御供中へ被 仰渡候由、喜兵衛申候事、
忠利中津ヨリ帰城 |一、殿様八つ半時ニ、中津ゟ被成 御帰城候事、
| (浅山)
三斎へ饗応ノ礼ノ |一、修理事、明日中津へ宇治丸之桶御持せ候而、此間被成 御座御礼ニ被遣候事、
使者 |
| (朝山) (山岡書鑑)
能道具上方ヨリ着 |一、御能道具、上方ゟ下り候、則斎助ニしよかんを以渡候事、
ス |
忠利具足ノ道具 |一、御具足之道具、右同時ニ下り申候、小谷忠二郎ニ同人を以渡候事、
台所道具 |一、御台所ニ入候道具、同時ニ下し申候、深野又進昨十七日ニ同人ニ而渡候事、
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| 十八日 甚左衛門
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| (忠広) (鶴崎、豊後大分郡) (後欠)
加藤忠広上洛 |一、加藤肥後守殿御上洛ニ而、津留崎へ昨十七日ニ被成御着筈之由、宇野七右衛門
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| 〇落丁アリ、コノ後、十九・廿・廿一・廿二日分ナシ、
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