津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■散歩道・錦が丘中学前通り

2020-04-30 15:25:07 | 徒然

                 
 最近は散歩コースが一定せず、歩きだして気分次第でどこへ向かうかを決めています。
この写真は、錦が丘中学前の欅通り(?)、新緑がまぶしい季節です。写真左手が中学校です。
今日の熊本は24~5度になりそうだというので、もっぱら緑陰を求めてのコースになりました。
まっすぐ行くと、県庁前から西部方面総監部正門前に至る幹線道路です。
途中にあるハワイアンコーヒーのお店は、いつも数十台が入れる駐車場もあって大賑わいしていますが、GW明けまで営業停止、ガランとしています。
                 

自衛隊正門前まで行って、あとはいつもの通り自衛隊を一周、いつもより少し歩く距離は伸びたようです。
この暑さだと、そろそろ起床後すぐに歩く様に変更しなければならないようです。

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■居眠りで入札不参

2020-04-30 09:03:54 | オークション

                                                           

 江戸期 彩色写図 「肥州島原城責図」
いわゆる天草島原の乱に於ける原城の幕府軍の布陣図です。ひそかに狙っていたのですが、ついつい居眠りをしてしまい、参加さえできずに惨敗です。
落札価格は30,000円以上になったようです。

一方 4296  ジャンク  和本  島原合戦記  中下巻  2冊  天草四郎  切支丹  宝永  絵入  等も出品されていますけど・・・

 

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■細川小倉藩(215)寛永四年・日帳(五月十四日~十七日)

2020-04-30 06:39:35 | 細川小倉藩

                      (寛永四年五月)十四日~十七日 

         |
         |    十四日  山崎伝左衛門
         |
         |
江戸大坂ヨリノ書 |一、夜前従江戸、御鉄炮衆谷忠兵衛与新谷作兵衛罷下候ニ、 御書・奉書、大坂ゟ、御蔵奉行衆ゟも
状        |  書状参候、御小早ニて罷下候事、
遺留ノ番袋ノ主  |一、今度御上洛之刻、御小者小性小方少七と申もの、ばん袋を御舟ニおとしおき申ニ付、御船頭岐木
         |  九兵衛つミ下り、冣前も其理御奉行所へも申上置候へ共、ぬししれ不申ニ付、其儘右ノ御船頭ニ
         |  預ヶ置候処ニ、少七所ゟ親かたへ申越ニ付、親かたゟ尋申候間、相渡可申由ニて、右ノ御船頭右
         |  ノ親同道ニて登城仕候間、慥成証拠を立させ、親ニて候ハヽ、可被相渡之由、申渡候事、
彦山当月ノ門札幷 |一、彦山ゟ当月之御祈祷のため、御紋札幷目録被差上候事、
         |

         |
         |    十五日  加来二郎兵衛
         |
医師出川作庵   |一、奥村少兵衛昨日下城仕、其儘頓ニ煩申ニ付、御医師出川作庵を付申候事、
長崎ヘノ船便   |一、白井兵助所より、長崎への御舟ハいつ比可被遣哉と被申候、初ゟ申候様ニ、来ル廿日比ニ可遣
上セ米ノ船    |  候、御米御上せ候御舟をも一艘申付候由、被申候、則伝介・新兵衛ニ被申候へと、申渡候、又船
五石加子ノ請状差 |  瀬里兵衛抱候五石加子請状之儀、今日持参可仕候へとも、不成就日にて候間、無其儀候、さり共
出ヲ不成就日ニツ |  上ヶ候へとおほしめく候ハヽ、持参可仕由被申候、持参ニ不及候間、うつしを被仕、今日被差上
キ避ク      |  ヶ候へと申渡候、上方へ御詰小早、明後日禍差上候、如何可有御座やと、被申候、一段可然由、
請状写ヲ上ゲシム |  申候事、
上方詰小早    |

         |
         |    十六日  山崎伝左衛門
         |
前蔵奉行ノ切手  |一、山田次右衛門先御蔵奉行衆切手持参被仕候、則御算用聞衆相対可被仕由、申渡候事、
         | (規矩郡)
普請奉行ノ報告  |一、曽根之土橋之医師かきぬけ申候、御普請を不被仰付候ハヽ、当分土俵ニ而繕可然由、牧丞太夫方被
曽根ノ土橋ノ石垣 |  申越ニ付、五人ニ明俵弐百俵持せ、明日可被遣由、余田左太夫方へ申渡候事、
ヌク 当分土俵ニ |
テ修繕      |

         |
         |    十七日  加来二郎兵衛
         |
曽根ノ土橋石垣修 |一、曽根之土橋石かき損申候間、御普請被仰付候か、無左候ハヽ、当分土俵ニて繕可然候、牧丞太夫
繕  土俵用ニ空 |  方ゟ被申越ニ付、御長柄衆小頭共ニ六人、明俵先百俵持せ遣申候、俵不足ニ候ハヽ、取ニ此方へ可
俵百俵ヲ渡ス   |  被越由、書状二て申入候事
山崎等出府ニ道中 |一、山岡書鑑・藤田宗利両人、今度江戸へ被参候ニ付、道中馬渡可被下由、被申候、先例次第たるへ
馬ヲ乞ウ     |  きよし、申候ニ付、書鑑儀ハ、前々ゟ壱疋宛被下たる由ニ付、其分ニ候、又宗利事ハ、前かと馬
         |  被下たる儀も無之、今度がはしめニ而候由ニ付、只今難極ニ付、先かし分ニ〆、次馬一疋渡可被申
         |  候、左候て、江戸御奉行衆へ、其許ニて禍被得 御諚通、可被申遣由、財津一兵衛ニ申渡候事、
         |五月十六日
船ノ蔀制作用ニ薩 |一、牧丞太夫与喜多山左兵衛、さつまへ御舟ノしとミノ御用ニ、しゆろのかわかいニ遣候、御船頭ハ
摩ヘノ棕櫚ノ皮購 |  野間惣兵衛遣候事、
入ノ用      |
         |

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