津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■タンポポ日和

2020-04-27 15:04:01 | 徒然

                         造形を極めて たんぽぽ日和かな  津々

                 
                                        

 今日は天気は快晴、風が気持ちよくマスクもつけず一人自転車で郊外へ出てみました。片道8キロを走り折り返しました。
殆んどフラットの道でしたから、なんとか爺様の体力は持ちこたえましたが、行きが50分、帰りが40分ほど、脚力がなくスピードは上がりません。
途中、何年ぶりかで空中でさえずる「ひばり」の鳴き声を聞きました。思わず「おおひばり高く又・・」と歌ってしまいました。(この歌、メンデルスゾーンの作曲でしたよね)

ちなみに、マスクを箱入りで売っている店がありました。どういうルートで入ってきたのでしょうか?

 

 

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■古文書のIT解読の時代はいつ来るのか

2020-04-27 08:38:13 | 徒然

先日書いた■清田文書から「有馬陣・証拠状」において、読み解くのに何とも悩ましい文字があった。
自信がないので釈文にアンダーラインを付してご紹介してきた。
それが部分の二文字である。
    

大いに悩んだ末、文脈から察し「(先祖ゟ之)差出扣迄持傳居申候」と読んでみた。
と読んでみたこの文字、「東京大学史料編纂所 所蔵データ 解析」にかけた結果98件の解析結果を得た。
その中にはない。(迠))も全く自信はない。文脈からするとそうかなと思ってのことである。

最近ITで古文書が読める時代が間近いとよく言われるが、早くそういう時代の到来を待ち焦がれている。
この二文字に三日間を要したが、100%の自信があるわけではない。

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■細川小倉藩(212)寛永四年・日帳(五月六日~九日)

2020-04-27 06:41:40 | 細川小倉藩

                      (寛永四年五月)六日~九日  

         |
         |    六日  奥村少兵衛
         |
求菩提山両子山ノ |一、求菩提山ゟ上り申御札、幷同山ゟ参候御茶五十袋、又両子山ゟ被上候御札、何も御掃除坊主良春
護符       |     (皆川)
         |  ニ相渡、治ア殿へ被相渡候へと、申候而遣候事、
         |
         |        皆川治部‐‐‐ 細川幽齋室・麝香の長姉が皆川治部少輔晴宣に嫁いでいる。
         |            この記事にある「治ア」は時代が異なって居り、晴宣の子「勝兵衛輝宗」のことだろうか?
         |
藤田弥兵衛ノ算用 |一、藤田弥兵衛宿ニ、万今度ノ諸さん用ニ入候書物在之由ニ付、取よせ、御算用聞衆二渡可被申由、
ノ書物ヲ取寄ス  |  荒瀬左太右衛門ニ申渡候事、
領内浦々瀬井波石 |一、御国中浦々瀬、幷はへ吟味仕、ゑづを可仕立旨、糸川長左衛門ニ被 仰付候ゆへ、如此仕立申由
ノ絵図作製ノ命  |  ニて、長左衛門絵図持参、如此下書仕候ハヽ、御ゑかきニ申付、清書させ可申由、被 仰付旨被
船頭糸川長左衛門 |               (井)                                              (矢野吉重)  
ノ下絵 張付奉行 |  申候ニ付、則御はり付奉行猪谷莵右衛門ニ申付、三郎兵衛ニ書せ可被申由、申渡候、則三郎兵衛
絵師矢野吉重清書 |  もよひよせ、長左衛門ニ引合、出来ノ間、長左衛門も被付置、をしへ候而、三郎兵衛ニ書せ可被
         |  申由、申渡候事、
         |        久助     (高月、西村)  
走者町籠へ入牢  |一、福嶋八兵衛者〇走候を、人留ノ善兵衛捕、召連参候を、町籠ニ入置候事、

         |
         |    七日  加来二郎兵衛
         |                                    (甚)
入牢ノ蔵子煩   |一、新籠ニ被入置候御蔵子彦七煩申ニ付、御医師を被付候様ニと、御番ノ高津神左衛門申来候ニ付、
医師松野道遊診療 |  御医者松野道遊を遣申候事、
小間物奉行    |一、こま物奉行豊岡理介、今迄被仕候さしかへ、上垣鏡右衛門・野口久五郎両人申付候事、
御奉行ノ父ニ代リ |一、釘本三太郎儀、親半左衛門■■知行根付等如何仕候も不存候間、見廻申度候、半左衛門儀は御郡
知行所ノ見廻願  |  ニしかと付居申候ニ付、如此ノ由、可然候、可被参由申渡候、又田川ニも、田を三反御給人衆
         |  ゟ半左衛門もらい被申候、是も参候而、うへ付申度由申候事、
歩小性ノ内老年幷 |一、歩之御小性ノ内としより、又ハ不立御用衆ニ御いとま被遣候衆、家之儀いかゝ可有御座候哉之由、
用ニ立ザル者ニ暇 |  波多理右衛門・大津留六左衛門被申候間、被放御扶持衆ハ家も上り家ニ可被仕由、申渡候事、
居宅ハ上リ家トス | 
闕所物ノ直極   |一、大津留六左衛門・波多理右衛門被申候ハ、御けつ所物之内、直段被仰付候ハて不叶物共大分御座
直段奉行     |  候、直段奉行被仰付被下候様ニとの儀、金子・中神談合被仕、御用ニも立申候様なる物をハ、被
不用品ヲ売払ウ  |  扣置、残分ハうり可被申候、長段奉行ニハ岩田新蔵・御かい物奉行森次兵衛、御よこめにハ則
買物奉行     |  渡長右衛門差出禍申候間、早々直段可被相極由、右両人ニ申渡候事、
塚原徳斎上リ家鬮 |一、塚原徳斎家、大塚四郎兵衛・沢権七両人くじ取ニ被仕候処ニ、四郎兵衛取被申候事、
取        |
蔵子入牢中塩ノミ |一、御蔵子ノ茂兵衛・喜右衛門・久左衛門・三右衛門永々籠者被 仰付、塩迄ニてめしをたへ申候ニ
ニテ飯ヲ食ス   |  付、口損、今度ノ御さん用ニ出候而も役ニ立不申候間、御さん用間ハ、やと/\ゟミそを入たべ
味噌ヲ求ム    |  申度由申通、御さん用聞衆四人ゟ被申越ニ付、御番衆をよひ、前々の様子を相尋候ヘハ、かやう
差入レシ者ニ毒見 |  の儀ハ前かとゟ、持来候ものにどくミをさせ、入申由申候ニ付、其分ニして、御さん用聞ハ、ミ
         |  そを入候へと、申付候事、
         |

         |
         |    八日  山崎伝左衛門
         |
大坂米奉行帰着  |一、八木田久助今朝下着ノ由ニて、登城仕候事、
宇佐郡用水普請完 |一、宇佐郡用水御普請仕廻申由にて、吉田孫四郎今朝登城仕候事、
了        |
なへ幷かねノ端午 |一、御なへ様・御かね様端午ノ御ひとへ物、御かたひら幷御おひ、京都ゟ被差下候請取切手、御船頭
ノ単物帷子帯   |  河村喜左衛門ニ相渡候事            右ノ切手数三枚、請取申候
請取       |                                河村喜左衛門(花押)
増種子米借状   |一、山崎吉左衛門知行・蓑田甚丞・宮部久三郎、此三人ノ知行、寛永三年分の御増種子借状は仕上候
         |  へ共、御惣庄や大村弥右衛門相果候刻、御米不相渡由書置仕候ニ付、右ノ米三人分、元利合四石三
損米       |  斗一升九合御損米ニ可被取立通、肩書仕、彦進・甚丞方へ遣候事、
大坂米請払ノ目録 |一、寛永弐年分大坂御米請払之目録、堀長兵衛被上置候を、戻シ申候事、
         |

         |
         |    九日  奥村少兵衛
         |                 (後・阿部弥一右衛門)
宇佐宮永勝院危篤 |一、永勝院以之外被相煩二付、御惣庄や山村弥一右衛門ゟ、御家老衆へ書状上ヶ申候、中津ゟも御医
二ツキ医師薬師派 |  (下村)
遣        |  師已庵彼参、被罷居候間、爰元ゟも御くすし被遣可然由、申越二付、北村作雲被差遣候、則道中
         |  次馬壱疋ノ状調遣、又道中賄ヲも可被申付通、申遣候、小者壱人之躰ニ而候ニ付、御小人弐人相
         |          (ママ)
         |  添遣候、又為案内者ニ御鉄炮衆友田二郎兵衛与ノ梶原喜左衛門相添遣候事、
小者走ルヲ捕へ町 |一、福嶋八兵衛小者、此中走候をとらへ、町籠ニ入置候、川井権丞被申候ハ、当春抱申候、とりにけ
籠ニ入レシム   |  等も不仕候、別ニにくきものと可申様子も無之由候、元来は下毛郡ノものゝ由候、御成敗可被成
にくきものニテナ |  も、御免可被成も申分少も無之由候事、
シ        |
船頭惣奉行舟手ノ |一、鏡善右衛門屋敷ノ裏ニ、御矢倉弐つ御座候内、壱つをかこい、御舟手ノ御算用所ニ仕度候由、兵
算用所ヲ矢倉ニ求 |  介同前ニ被申ニ付、其分可然由申渡候、就夫、かこい申道具、又ハ敷物之儀申付候事、
ム        |
金山ノしまや運上 |一、御金山ニ居申候しまや弥十郎と申者御運上を負候て、走申候、彼しまや母小倉ニ居申ニ付、御金
ヲ負ヒ走ル    |  山奉行佐藤安右衛門ゟ、御町奉行へ被申届、若/\弥十郎戻可申儀も可有之候間、もとり不申
金山奉行佐藤安右 |  内ハ、かの母いつかたへも不参候様ニ可被仰付由、被申候処ニ、吉田少右衛門尉登城被仕ヒ申候
衛門ノ申入レ   |  ハ、弥十郎母いつかたへも不参候様ニと、佐藤安右衛門方ゟ被申届候、しかしながら、今ほとハ
母親を拘留セント |  毎月十八日/\ニ御門明候而、御門女出入なとも御座候、其上御侍衆中いつれも在郷被成候へ
ス  小倉町奉行 |  ハ、小倉ノ家々明申ニ付、町ニ居申ものともやしきをかり居候而、それゟいつかたへも罷越候様
吉田少右衛門申分 |  ニ御座候間、預り申儀、何共成申間敷候由、被申来候事、
毎月十八日ハ御門 |
女ノ出入アリ   |
侍中在郷スル故貸 |
家トス      |
町奉行預リヲ拒ム |
長谷部文左衛門困 |一、長谷部文左衛門やかて阿波へ被参候、手前礑不罷成ニ付、惣談ヲ以、御米三石・銀子百五十めか
窮スルニヨリ阿波 |  し申候事、
行ニ米銀ヲ貸与ス | 

 

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