津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■街角風景「落ち銀杏のある風景」

2020-10-30 18:09:10 | 熊本

                                                天匂ふ 落ぎんなんをふたつ踏み   秋元不死男

                                     

 熊本にはイチョウの木が多いように思う。熊本城は「銀杏城」と呼ばれるし、城内にも多くのイチョウの木が多い。
熊本県庁の正面プロムナードは、肥後54万石を表す54本のイチョウの木が植えられており、そろそろまっ黄色になり夜間は照明で照らし出されることになる。

そろそろ刑部邸の前なども見事な景色が見られるだろう。
私の散歩コース、東郵便局ー東部市民センターー健軍神社には街路樹として沢山植えられていて、所によっては写真のごとく、御近所の方のお世話で落ちた実が佩き寄せられている。
なんとも匂いが臭く、急ぎ足で通り過ぎなくてはならない。かっては拾っていく人も見られたが、最近ではあまり見受けられない。

私は焼銀杏が大好きで、殻を剥いだきれいな緑色の実の香ばしい香り、そして少々の苦みと塩気が晩酌のつまみに最高である。
しばらく食べていないが、又出かけて少々拾ってこようかしら。よろしければ「どうぞお持ち帰りください」

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■米田家の御祝いと久万引

2020-10-30 09:31:44 | 徒然

 現在、米田監物(是容)女・豊の沼田家(勘解由・延裕)への輿入れについての文書を読んでいる。
三卿家老家の姫様の結納・婚礼だから手続きがものすごい、当然大身の家同志の縁組だから藩主の了解が必要である。
この慶事は安政三年、是容にとっては家老をやめ藩政から退いて9年、実学党においては横井小楠と決別したまさに四面楚歌の時期である。
そんな中かっての同僚、家老有吉頼母を使者に頼み、藩主齊護の許可を得ている。

江戸の藩主夫人や在熊の藩主子弟、政敵・松井佐渡、其の他多くの人々にその旨の報告の書状を発している。

結納にあたってはその中の一つに、奉書に「久万引 一折」とある。
「くまびき」と読み、これは地元では「万引=まんびき」として知られるが、「鱪=しいら」のことである。「鬼頭魚」とも表記するようだが、でかい頭が特徴である。

これが祝い事に使われるということは知らなかった。
どうやら米田邸には数十尾の「万引」が収められたように思える。
            
            シイラ (マヒマヒ) | 市場魚貝類図鑑

この時豊姫は15歳、婿殿沼田延裕は是容の期待通り、後には家老職につくことになる。
長い失意の中にある是容にとっては、愛娘の祝儀は心の安らぎであったろう。
その三年後是容は采邑八代で死去した。47歳という若さである。家督を譲ることもせずの生涯は、己の信念を貫徹させようとする是容の矜持でもあったろうか。

二代是季やこの是容といった人物を見るとき、「物いう米田家」という感じを強くするが、私一人だろうか。
実学派の政府誕生までは、まだ10年余の時間を必要とすることになる。

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■細川小倉藩(390)寛永六年・日帳(卯月五日)

2020-10-30 06:41:13 | 展覧会

                      日帳(寛永六年卯月)五日

         |       
         |     (四月)五日  石本三介
         |
忠利牡丹ノ実ヲ植 |一、上林甚助呼、江戸ゟ被仰下候、ほたんの実取、植させ候へと、被仰下候間、自分ぬけさる様ニ植
へシム      |  可被申候、なく候ハヽ、御家中ニてもらひ、うへ可申旨 御意之通、書付渡申候、
牡丹ノ種ヲ小壺ニ |一、甚助被申候ハ、ちいさき壺壱つ御詰被成候而、江戸へ御下被成可然存候由、被申候、得其意候由
詰ム       |  申事、
         |   阿片(熊本大学永青文庫センター編「永青文庫の古文書」p120~「上田太郎右衛門によるアヘンの製造と葡萄酒」後藤典子氏)
あひん制作ニ浅葱 |一、あひん御誘被成御用ニ、浅黄椀拾人前入申候間、上林甚助ニ可有御渡遣候、そこね申儀にてハ無
椀ヲ求ム     |  之由、住江甚兵衛所へ切帋遣事、                〃
         |
家屋敷ヲ望ムモ鬮 |一、田辺角介・菅八左衛門登城にて、角介申候ハ、八左衛門儀今迄家ヲ持不申候、先度もくじ取仕
ニ当ラズ     |  候へ共、取当り不申候、左様ニ御座候ヘハ、今度江戸にて果申蒲生猪左衛門家と、谷下総下屋敷
家奉行ニ厚相スル |  ニも家御座候間、いつれ成共壱軒被下候様ニと被申候、尤にて候、左様ノ儀ハ御家奉行へ被仰候
ヲ指示ス     |  ハヽ、家奉行ヨリ可被申候間、家奉行衆へ被申候へと、申渡候事、
家中用ノ茶壷ハ舟 |一、式ア少輔殿ゟ、御使者にて被仰下候ハ、家中の茶壷御舟にて上り申候、来十日ニ出船仕候間、可
ニテ上ス     |  被得其意旨申触候間、御舟之儀可被仰付之由被仰下候、得其意存候通申候事、
遠州灘難破ノ船頭 |一、今度遠州灘にて、破損仕候御舟之船頭林六右衛門走り申候ニ付、彼女房籠者被仰付候、六右衛門
         |                       
走ルニ付女房入牢 |  養娘壱人御座候、是物当町新や與左衛門尉預り籠申候、六右衛門養のせかれ壱人四つニ成申
養娘ハ町預リトス |  
養娘ノ子四才ノ処 |  候、是者おば所ニ居申候間、是もおやこ壱つニ召置候而可然之由候間、新や與左衛門預り候へは
置        |
         |  と先日ご家老衆にて相談合仕候、御家老衆差図にて候間、
早々與左衛門預り、母と一所ニ置候
         |  へと可被申付之由、吉田縫殿ニ申渡、其分ニ仕置候処ニ、又今日吉田縫殿新や與左衛門同道にて
町人新や与左衛門 |  登城被仕候而、被申候は、先日預り可申と申候もの、預り可申と申候へとも、是は奉公人かた
町預ヶヲ拒ム   |  の者を町ゟあつかり申儀も如何にて候間、母ともニ上ヶ可申由、縫殿取次にて申候、此方ゟ申候
         |  は、以外先日之段々相違仕候、ひとたび御年寄衆御相談の上ニ而、預り申候ニ仕候而、又左様の申
         |                         (ママ)            (木下延俊)
木下延俊ノ宿主  |  分、ひとへにうへをかろしめたる様にて候、以来を能心得候へ、其方なとハ右衛門殿御やと、又
殿様モ御存知ノ仁 |  は、殿様も御存知の仁にて候ニ、其方なとゟか様ニかたきりたる事を申候ヘハ、わき/\の町人
         |  なとも、縫殿申付候事かろく可存候、沙汰のかきりなる申様にて候、其上彼せかれ其方造作ニな
         |               
         |  るほとのものにても無之候、〇四つニ成候ものゝ儀にて候間、如何様ニ仕候而めしおき候とも、
         |               つかり
         |  事やすき事かと存候、弥々あ■■申間敷と存候ハヽ、又々御家中老中へ申、その上にて御年寄衆被
         |                              〃
         |  仰次第ニ可仕申候ヘハ、それまても無御座候、御奉行衆右ノ御意にて候間、早々與左衛門預り
町預ヲ承服ス   |  候へと縫殿被申候、與左衛門も御意次第ニ可仕と申候而、其通ニ定候也、
         |一、山村三丞、今程御算用之すきにて御座候間、在所へ参度由申候間、参候へと申渡候事、
         |            (頭脱)                       (野脱)
           
家中茶壷ノ回漕  |一、家中茶壷積上り候船上原久右衛門・袖九右衛門尉両人也、但、九右衛門舟一艘ニ弐人上ス、
         |   (正次)
         |一、嶋又左衛門、大坂ゟ被罷下候時、舟壱艘かり乗被下候、其様子、寺嶋主水方ゟ被申下候状、中神
         |  與兵衛ニ渡也、

 

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