津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■信じる者が・・救われない

2020-10-10 17:00:52 | 歴史

 いろいろ調べごとをするのに今日では「フリー百科事典・ウィキペディア」は、必須アイテムになっている。
但、間違いも結構多いことを頭に入れておくことが必要である。大学生が卒論を書くのに、引用したら間違っていたという笑えない話を聞いたことが有る。もういくつも間違いを発見しているが、一つ一つ上げ足を取るのも時間の無駄で放置しているが・・・
使う側は書いてあることが本当に正しいのかを、検証するくらいの努力はしなければならない。
最近発見したのは「花畑屋敷跡」、ここにあった建築物の一部は、矢部に在った阿蘇氏の居館を解体し、水運を利用して熊本へ運び建築したという話だが、二つの説があり、一つは「肥後国誌」や「肥後見聞雑記」にある岩屋城、いま一つが「古城考」にある愛藤寺城である。
ウイキペディアは次のように記すが、完全な間違いである。
『肥後国誌』には元和年中の一国一城の令で矢部の愛藤寺城の材木を用いて「華畑ノ亭」の広間を造るという里俗の説を載せるが、愛藤寺城(矢部城)の廃止は清正逝去の翌年の慶長17年(1612年)のことである[9]

肥後国誌には何と書いてあるか・・・岩尾城のいろいろな説明の後に
「矢部岩尾城ヲ□其材木ヲ以テ此館ノ玄関大廣間ヲ造ルト云フ」とある。

愛藤寺城については「古城考」に説明があり、こちらでは
「此城の材木を以て、熊本花畑亭の廣間を作ると云」とする。

ウイキペディアの説明は完全にアウトだが、単純に考えると「古城考」とすべきところを、「肥後国誌」と単純に間違えたということかもしれないが、「里俗の説を載せる」等というのが余計なことではあった。

 

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■細川小倉藩(372)寛永六年・日帳(閏二月三日~四日)

2020-10-10 06:45:51 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年月)三日 ~四日                

         |       
         |     三日  加来二郎兵衛
         |

六十丁立ノ船ノ釜 |一、六拾丁立之かま古ク候て、不立御用ニ付、鋳直させ候由、御印帳ニ付、大学殿ニ遣候処ニ、古か
ノ鋳直シニ古釜ヲ |  まを下ニ遣、鋳させ候へと被仰付候ニ付、鏡善右衛門ニ申渡候事、
下ニ出ス     |                                   (俵山、長門大津郡)
白井兵助湯治ヲ願 |一、白井兵助登城にて申候は、かひな于今すきと無御座候間、御年寄へ申理、たわら山へ湯治仕候、
ウ        |                                        (鏡)  
         |  此十日比ニ出船可仕かと存候由被申候、左様ニも候ハヽ、跡にて手ノつかへさる様ニ、善右衛門
         |  尉へ能被申置、湯治被仕候へと、申わたし候事、
         |
力革用ノ鞣切ナシ |一、牧猪助登城にて被申候ハ、なめし革のきれ/\ニて、力かわヲ何ほとも仕置候へと、金津助二郎
         |  奉おき申候間、久五郎・京右衛門相尋候へ共、かわのきれ無之由申候、如何可仕哉と被申候間、
         |  かわのきれなく候ハヽ、不及力候間、可得其意由申候事、
畳ノ古表少シモナ |一、吉田源七郎登城候て被申候ハ、御たゝミの古表何程有之哉と、御尋被成候へ共、少も無御座候、
シ        |  少つゝ御座候ハヽ、御地震やの御たゝミのきりむしろニ仕候間、渡申、表ハ少も無之由被申候、
地震屋ノ畳ノ切蓆 |  古表有之ハ、御寺御材木包申度候て申事ニ候へ共、無之候ハヽ、不及力由申候事、
古表ハ寺ノ材木包 |
装用ニ求ム    |
奥向ノ物干竿ノ用 |一、黒瀬九郎右衛門尉申候は、先日申上候ことく、をくの物ほし竿五本切せ申度候間、竹きり申候者
切置ノ竹ナシ   |
         |  を被仰付候而被下候様ニと申候、切置の竹、久次手前ニは無御座候由申候間、早々被仰付候而可被
         |  下之由申候事、

         |       
         |     四日  石本三助
         |
         |一、大学殿ゟ、御使ニて被仰越候ハ、昨日ハ御出候由候へ共、所々御繕之所見廻可申と存候間、不懸
         |  御目候、一々七左衛門ニ被仰置候通承届、いつれも懸御目可申との御使也、
刀袋十一二重木綿 |一、御腰物袋、ふたへもめんのふくろ拾壱ぬい出来候て、本庄少介被持参候ヲ、本庄勘兵衛ニ相渡候
ニテ製ス     |  事、
忠利紙屋道悦邸ノ |一、吉田縫殿助登城ニて被申候ハ、帋屋道悦所ニ能菊在之を可被 召上旨、被 仰置候間、御うつさせ
菊ヲ召上グ 移植 |  候様にと、道悦所ゟ主所へ申来候間、うへさせ候様ニと被申候事、
光尚ノ疱瘡除ノ呪 |一、御六様おほうさう不被成御まじない之物、江戸ゟ被成御下候ニ付、住江甚兵衛ニ持せ、中津へ遣
苻     神楽 |  候、神楽被成御上候ニ付、ミくま持参被仕候事、
惣銀ノ算用奉行  |一、惣銀ノ算用奉行ニ河北九大夫、御年寄衆ゟよひニ被遣候処ニ、昨日参候由にて、登城被仕候事、
掃除坊主玄斎病死 |一、御掃除坊主玄斎此中病死仕候、跡替ニ祐甫せかれをめし置候由にて、林隠岐・長斎同道にて被参
跡替り      |  候事、
         |   (近元)                                (津川辰珍)
津川近元下代免違 |一、津川数馬殿知行、免違ノ米五石在之を、下代仕様悪敷候間、元米にて可有御出させ由、四郎右衛
ノ処分      |  門殿内林加介をよひ、様子申渡候、右地震被存違候免之分ハ十倍にて被 召上候へ共、数馬殿
自身存知ノ免違ハ |   上方
十倍ヲ召上グ   |  ハ江戸ニ御入候て、無御存知儀候間、下代手前ゟ元米にて出候様ニ、可被仰付通、申渡候事、
         |   〃〃
有田次兵衛眼病養 |一、有田次兵衛儀、又眼悪敷成、ほし出候て、散々にて候間、黒部吉兵衛ヲ頼、養生仕度候間、明日
生ヲ願フ     |  ゟ二三日御暇被下候様ニと、惣兵衛を以申候、さほと悪敷候ハヽ、養生させ可被申由申候事、
         |  (田代)
等甫へ画用ノ唐紙 |一、等甫所へ遣、絵書せ申唐帋之三拾弐枚入候由にて、長き箱一つ、八右衛門・勘右衛門ゟ被差上候
三十二枚     |  事、          〃


  

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