いろいろ調べごとをするのに今日では「フリー百科事典・ウィキペディア」は、必須アイテムになっている。
但、間違いも結構多いことを頭に入れておくことが必要である。大学生が卒論を書くのに、引用したら間違っていたという笑えない話を聞いたことが有る。もういくつも間違いを発見しているが、一つ一つ上げ足を取るのも時間の無駄で放置しているが・・・
使う側は書いてあることが本当に正しいのかを、検証するくらいの努力はしなければならない。
最近発見したのは「花畑屋敷跡」、ここにあった建築物の一部は、矢部に在った阿蘇氏の居館を解体し、水運を利用して熊本へ運び建築したという話だが、二つの説があり、一つは「肥後国誌」や「肥後見聞雑記」にある岩屋城、いま一つが「古城考」にある愛藤寺城である。
ウイキペディアは次のように記すが、完全な間違いである。
『肥後国誌』には元和年中の一国一城の令で矢部の愛藤寺城の材木を用いて「華畑ノ亭」の広間を造るという里俗の説を載せるが、愛藤寺城(矢部城)の廃止は清正逝去の翌年の慶長17年(1612年)のことである[9]。
肥後国誌には何と書いてあるか・・・岩尾城のいろいろな説明の後に
「矢部岩尾城ヲ□其材木ヲ以テ此館ノ玄関大廣間ヲ造ルト云フ」とある。
愛藤寺城については「古城考」に説明があり、こちらでは
「此城の材木を以て、熊本花畑亭の廣間を作ると云」とする。
ウイキペディアの説明は完全にアウトだが、単純に考えると「古城考」とすべきところを、「肥後国誌」と単純に間違えたということかもしれないが、「里俗の説を載せる」等というのが余計なことではあった。