京都の古書籍店から五冊セットの古書籍を購入した。
箱を開いて新聞の詰め物の中から本を取り出し、しばらく各冊の内容を確認する。
それからぐじゃ/\に詰められた新聞を処分しようと、しわを伸ばして折りたたもうとしたら「京都新聞」の名前が見えた。
何か京都の面白い記事はないかしらと眺めてみると、一枚目は文化襴で書籍の紹介、二枚目はスポーツ襴、そして三枚目がこの写真である。
大河「麒麟がくる」で注目-光秀の真の姿、亀岡にありという特集記事である。
これは一目目を通してから捨てようと思い、しばし見入ってしまった。
「明智光秀伝-本能寺の変に至る派閥力学」の著者・藤田達生氏の小文が書いてあった。
最近のいろいろな資料の出現により、光秀の謀反の原因についても随分見方が変わってきている。
食後のコーヒーを飲みながら、思いがけない詰め物新聞記事で楽しませていただいた。
日帳(寛永六年二月)廿八日 ~晦日
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| 廿八日 石本参助
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金山間歩ノ口明 |一、春木金大夫ゟ、使ニて被申越候ハ、来月ニ入候ハヽ、御間ぶの口明候而、仕度候間、人を被 仰
| 付可被下候、左候ハヽ、堀江勘兵衛も其元ニ被居候間、右之通被仰、勘兵衛被参候ニ、人を被相
| 副可被下通被申越候、心得候由申遣事、
小崎佐田小林参宮 |一、小崎與次兵衛・佐田源丞・小林久助登城被仕候、来ル朔日ニ参宮仕候ニ付、御暇乞ニ罷上り候、
出立ニツキ暇乞ニ | 上方御用之儀とも御座候ハヽ、可被仰付候由、被申候事、
登城ス |
築城上毛郡代官所 |一、瀬戸五兵衛・保利與兵衛御代官所中算用仕上、かり返号取申候而、仕廻申候由被申候事、
中算用完了 |
譜代ノ下人走者ノ |一、山田加左衛門尉・益田弥一右衛門尉登城にて被申候は、弥一右衛門尉召仕候譜代下人、中津郡
処置 | (益田)
年貢ノかたノ女ニ | 之者にて御座候、彼者ノ母年貢ノかたニ助太夫取置候処ニ、右之下人助太夫所にて生申候、然所
生レシ者 | ニ助太夫相果候刻、右之母ともニ中津へ遣、庄や・郡奉行衆へ届、其後弥一右衛門尉手前ニよ
| び取申候処ニ、走り申、竹原以凡知行ニ居申候間、被仰付、被下候へと御郡奉行衆へ申候ヘハ、
| 御蔵納にて候ハヽ、可申付候へとも、以凡知行ニわたり申候間、申付候儀不成由被申候由ニ候、
郡奉行ニ蔵納給人 | 此方より申候は、御蔵納・御給人のへだてハ御郡奉行ニは無之候間、御郡奉行へ被仰候而、埒御
知行ノ隔テナシ | 明候へと申候事、
竹屋喜兵衛私ノ道 |一、竹屋喜兵衛登城にて申候は、今度御物ニなり申候様なる物とも見立候に参候、代物凡三貫目ほと
具ヲモ買入ニツキ |
申入ル | 入可申かと存候間、幷拙者自分の道具も買申様ニ御座候、左様ニ候ハヽ、 殿様御道具ニませ相
| 申候而、買申候儀は何とも仕にくき事ともにて御座候、御横目ハ被下候へとも、右之子細にて御
| 座候間、御相談候而可被下候由申候事、
松井興長夢想ノ連 |一、御夢想之連歌被成興行由ニて、式ア少殿へ田中兵庫被参候事、
歌興行ニ田中氏次 |
参加ス |
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| 廿九日 安東九兵衛
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| (吉重)
|一、夜前沢村大学殿ゟ、書状にて被仰越候ハ、年頭ノ御礼ニ、江戸へ使者を進上申候、大坂にて御小
忠利作事ノ延引ヲ | 早被仰付候而、酉ノ刻ニ爰元下着仕候、我等ニ 御書被成下候、御作事之儀も先御延可被成と
命ズ | (河田) (矢野)
| の 御意にて候間、 八右衛門・菅右衛門、我等所ニ可被下候、御書之趣見せ可申由、被仰越候
| 事、
| 御
|一、今日出申船頭田辺長助登城申候事、
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| 晦日 加来二郎兵衛
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松井興長鷹狩ヲ届 |一、式ア殿ゟ、山本源太夫を以被仰越候ハ、今日ハ日和ニ付、鷹野ニ参候間、可得其意旨、被仰越
ク | 候事、
| 長 (粟野)(豊岡)
|一、右之田辺■介様子違、今日上ル、但、伝介・仁丞ゟ御材木かい下候を留、上せ被申候状も右両人
| ゟ被上候事、