日帳(寛永六年二月)十二日 ~十四日
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| 十二日 加来二郎兵衛
| (寰)
唐犬長崎ニテ調ウ |一、野田小左衛門ゟ、唐ノ犬長崎ニ而被成調候間、明官状を持せ可遣由、申来に付、御小人六右衛
| 門・五郎介両人ニ明官書状を持せ、長崎へ遣候事、
|一、明日江戸へ、御能衣装持下候御鉄炮衆井門亀右衛門尉与町田口吉左衛門尉・山内勘兵衛与靍田う右
| 衛門尉也、
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| 十三日 石本三介
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能衣装幷鶴ヲ江戸 |一、御鉄炮衆町田吉左衛門・靍田宇右衛門、今日江戸へ遣候、御能衣装幷靏五つ持せ遣候、言上其外
へ送ル 江戸諸方 | 状とも相渡候事、
ヘノ音信物 |
硯 | 一、磯部長八郎へ野田源四郎ゟ、御硯のよしにて壱包遣候を、相渡ス、
| 一、寺嶋主水所へ、いよとのゟノ帋包相渡候事、
| (米田是季) (成政)
| 一、監物殿ゟ、坂崎清左衛門尉への状壱包相渡事、
| 一、御ふたなき竹箱壱つ渡候事
| 一、三斎様ゟノ御返書之御文箱三つ、幷中津御奉行衆ゟ、江戸 三斎様御留守居衆への文箱壱つ、
| 一、殿様へ、御こほ殿ゟ被進候御文箱壱つ、但、言上ノ文箱ニ入也、
| (松井康之室)江戸證人
| 一、御こほ殿より、自徳院への御文壱つ、
| (坂崎)
| 一、同一角所へ被遣候御文箱壱つ、但、言上ノ文箱ニ入也、
| 右之分、御飛脚ニ相渡候也、
|一、右之御飛脚乗せ上候御舟頭は江口彦左衛門尉也、
路地ノ松葉 |一、御路地之善吉申候ハ、松之葉をとらせ候へと申候、御小人弐か申付由、申渡候事、
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| 十四日 安東九兵衛
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江戸へ廻米 |一、江戸へ御米積廻候御船頭、手嶋茂大夫・中村喜兵衛両人可遣旨、かゝみ善右衛門ゟ申越事、
| (規矩郡)
矢山ノ駄馬死ス |一、御馬や小頭加介登城にて申候ハ、矢山之だ馬壱疋死申候由、被申候事、
置囲炉裏鋳造 |一、矢野勘右衛門被申候ハ、おきいろりいさせ申候ニ、御奉行壱人可被下由被申ニ付、横田権佐存
| 申、被申候へと、権佐方へ申遣候、得其意、はや申付候由、返事被申事、
椋板 |一、むく板七拾五枚、長さ四尺八寸・はゝ壱尺五寸・厚さ三寸、田川郡添田近所ニ御座候由、今戸半
| 四郎申候事、
松葉採集ノ奉行 |一、口御納戸ノ御番衆彦左衛門ハ松葉ひろい申奉行ニ申付、遣候事、
松ノ丸銀ノ番 |一、同御番衆一人ハ、松ノ御丸御銀番ニ付候事、
|一、歩之御小性釘本兵蔵・森左平次・永屋才三郎・香山清兵衛・舟瀬忠三郎・山村三丈、此六人ノ内
歩小姓ノ在江戸番 | ニ而、くし取にて、江戸へ一人遣候ヘハ、あとばん・さきはんとも二人数無甲乙様由、与わキ角
ヲ鬮取ニス | 〃
| 介・兵介被申候、併、才三郎ハ兄弟の内一人ハ今度御供ニ参候間、一人ハ不参様ニ被仰付被下候
| 様ニと被申候、尤ニ候由申候、又清兵衛ハ御用被 仰付候間、是も不成候、又釘本兵蔵はせかれ
| ノ儀候、然上ハ、くし取ハ成にくさうニ御座候間、兵蔵を除置、重而与ノ儀得 御諚可申候、さ
| 候ヘハ、あとさき共ニ先大分ノ人数ニ候間、兵蔵をハのけ、残五人を与わけノくし取可被仕由、
| 申渡候事、