津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む「戦国の忍び」

2020-10-29 17:33:12 | 書籍・読書

 小倉藩時代の細川家の「侍帳」には、まぎれもなく六人の「忍之者」の名前が上げられている。
出身が伊賀でも甲賀でもない人が、先祖附に「忍の者」と書かれている人もあって、これはどうしたことかと驚きこともある。
最近では研究が進み「忍び者」の存在感がいやまして、非常に今日も深い。3時間完読にはもってこいだと思い注文した。

                      

内容(「BOOK」データベースより)

戦国合戦の概念が変わる!これまでフィクションの中でしか語られなかった戦国期の忍者。しかし、史料に残されていた、忍びにまつわる記述を丹念に読み解くことで、驚きの実態が明らかとなった。見えてきたのは、夜の戦場で活躍する忍びの姿と、昼夜を分かたずに展開される熾烈な攻防戦だった。武田氏・真田氏の第一人者が、戦国史研究に新たな視点を投じる。

著者について

●平山 優:1964年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編さん室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹を経て、山梨県立中央高等学校教諭。2016年放送の大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当。著書に、『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』『武田氏滅亡』『戦国大名と国衆』(角川選書)、『天正壬午の乱 増補改訂版』(戎光祥出版)、『真田三代』『真田信之 父の知略に勝った決断力』(ともにPHP新書)などがある。
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■細川小倉藩(389)寛永六年・日帳(卯月四日)

2020-10-29 07:25:59 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年卯月)四日

         |       
         |     (四月)四日  安東九兵衛
         |

江戸大廻船三十艘 |一、大廻りニ三拾艘御上せ候内、遠州灘にて、右之内壱艘破損仕候、其舟之船頭・加子不残走り申候
内一艘遠州灘ニテ |                          (長門、豊浦郡)(規矩郡)
破損  船頭加子 |  処、其内にて加子長次郎・加右衛門両人走り戻り申候、下之関ゟ大裏ニわたり、其所の庄や召
残ラズ走ル    |    (平井)       (鏡)
加子二人戻ル   |  連、五郎兵衛所へ参候、かゝみ善右衛門存之内にて候故、五郎兵衛所ゟかゝみ善右衛門尉申届申
走戻リタル物故ニ |  候処ニ、右ノ加子両人ニ、善右衛門縄をかけ候而置申候由申候、此方ゟ申候は、走り戻り申たる
船手惣奉行ノ掛ケ |  ものゝ儀にて候間、なわをとき候而、めしをき候へ之由申渡候、左候而、加子両人の手前ゟ、は
シ縄ヲ解シム   |  しりもとりたるしかたの書物、被取置候へ之由、申わたし候也、
         |
初メテノ登城ニ本 |一、大橋惣右衛門尉むすこ、山添彦兵衛召連参候、初而爰元罷出候、左様ニ御座候ヘハ、御本丸見物
丸見物ヲ願ウモ許 |  仕度之由申候、如何可仕やと彦兵衛被申候ニ付、無用之由申渡候也、
サズ       |
         |                         (烏丸光賢室)
島正次烏丸万方祝 |一、嶋又左衛門尉方夜前罷下候よしにて、登城被仕候、 御万様へ御祝儀の御使しまひ、一段首尾よ
儀ノ使者ヨリ帰ル |  く相調申候よし被申候也、
         |  追記
小袖給与サル   |  「御万様ゟ御小袖一重拝領申由、被申候事」
江戸ヨリノ飛脚ノ |一、江戸ゟ、御飛脚谷忠兵衛与飯田七左衛門罷下候事、江戸を三月廿三日に出、同晦日ニ大坂へ着、
旅程       |  則出船仕、今日小倉着申候事、
江戸ヨリノ書状  |  一、御年寄衆三人へ之 御書箱壱つ、右之七左衛門持参、
         |                            (吉重)
         |  一、修理・兵庫ニ 御書箱壱つ、内ニいよ殿へ之 御書・沢村大学殿へ 御書・佐藤将監ヘノ
         |    御書参候事、
         |  一、いよ殿へ、松井少吉ゟ状壱包参事、
         |
         |  一、きくノ伊折やとへ、いおりの状壱包、これハ林隠岐ニ可被渡申由、黒瀬九郎右衛門ニ渡事、
三斎への眼薬   |  一、三斎様へ被進候御目薬、幷 御書箱壱つ参候事、御飛脚両人ニ持せ、中津へ差上申候事、
         |                      大学内
請取       |  一、沢村大学ニ被成下 御書慥ニ請取申候、 谷口助兵衛(花押)
         |  一、佐藤将監へ被遣 御書、高波権平ニ持せ遣事、
         |  一、いよ殿へ 御書壱つ・松井少吉ゟいよ殿への状壱つ包、くろせ九郎右衛門ニ渡候事、
         |                          〃
大橋ノ柱ヲ包ムニ |一、河田八右衛門・矢野勘右衛門ゟ、使にて被申越候ハ、大橋ノ柱包申ニ、松やに壱石御座候、柱六
三本ニ付松脂一石 |  本包ニ三本分御座候、〆壱石無御座候ヘハ、又三本つゝミ申ほと無御座候間、いま壱石急ニ入申
ヲ要ス      |  ニ付、松本彦進ニ申候ヘハ、当町尋候而、弐升か三升ほと外有間敷候由被申候、左候ハヽ、上方
更ニ一石ヲ求ム  |  へかいニ被遣候とも、急ニハ下り申間敷候間、御郡中へ被仰付、急度壱石ほと参候様ニ、被仰付
         |  加被下由被申候、又残柱もかへ申候ハヽ、弐三石も松やに入可申候間、上方へ便御座候ハヽ、御
         |  買下候様ニと被申越候、心得申候、面談可申通申遣事、
走加子ノ女房ヲ抑 |一、今度走り申御加子六助女房、前かとこうとうの坊遣申ものにて候故、こうとうの坊むすめ吉田彦
へ預リ先ヲ求ム  |  右衛門妙坊にて候故、彼むすめニ■六助女房預り被申候哉と、古庄次左衛門・足立與兵衛を彦右
         |  衛門所へ尋ニ遣候処ニ、彦右衛門女房被申候ハ、■尤前かと遣申ものにて御座候へとも、今度の
親ハ町人故女房ヲ |  せんさく御座候ニ付、おやかたへ返し申由候間、おやハ町のものニて候ゆへ、吉田縫殿へ右両人
町牢ニ入ラシム  |  を以申入候ヘハ、得其意申候、請人立させ可申哉、籠ニ入可申哉と被申候間、籠ニ御入置可然
         |  由、返事申候事、
いよ忠利ヘノ帷子 |一、殿様御召帷子五つ入ノ箱壱つ、いよ殿ゟ御上ヶ候、式ア殿ゟ、明日江戸へ人御下候使ニ、言伝下
ヲ言伝ス     |  申候事、


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