小倉藩時代の細川家の「侍帳」には、まぎれもなく六人の「忍之者」の名前が上げられている。
出身が伊賀でも甲賀でもない人が、先祖附に「忍の者」と書かれている人もあって、これはどうしたことかと驚きこともある。
最近では研究が進み「忍び者」の存在感がいやまして、非常に今日も深い。3時間完読にはもってこいだと思い注文した。
小倉藩時代の細川家の「侍帳」には、まぎれもなく六人の「忍之者」の名前が上げられている。
出身が伊賀でも甲賀でもない人が、先祖附に「忍の者」と書かれている人もあって、これはどうしたことかと驚きこともある。
最近では研究が進み「忍び者」の存在感がいやまして、非常に今日も深い。3時間完読にはもってこいだと思い注文した。
日帳(寛永六年卯月)四日
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| (四月)四日 安東九兵衛
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江戸大廻船三十艘 |一、大廻りニ三拾艘御上せ候内、遠州灘にて、右之内壱艘破損仕候、其舟之船頭・加子不残走り申候
内一艘遠州灘ニテ | (長門、豊浦郡)(規矩郡)
破損 船頭加子 | 処、其内にて加子長次郎・加右衛門両人走り戻り申候、下之関ゟ大裏ニわたり、其所の庄や召
残ラズ走ル | (平井) (鏡)
加子二人戻ル | 連、五郎兵衛所へ参候、かゝみ善右衛門存之内にて候故、五郎兵衛所ゟかゝみ善右衛門尉申届申
走戻リタル物故ニ | 候処ニ、右ノ加子両人ニ、善右衛門縄をかけ候而置申候由申候、此方ゟ申候は、走り戻り申たる
船手惣奉行ノ掛ケ | ものゝ儀にて候間、なわをとき候而、めしをき候へ之由申渡候、左候而、加子両人の手前ゟ、は
シ縄ヲ解シム | しりもとりたるしかたの書物、被取置候へ之由、申わたし候也、
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初メテノ登城ニ本 |一、大橋惣右衛門尉むすこ、山添彦兵衛召連参候、初而爰元罷出候、左様ニ御座候ヘハ、御本丸見物
丸見物ヲ願ウモ許 | 仕度之由申候、如何可仕やと彦兵衛被申候ニ付、無用之由申渡候也、
サズ |
| (烏丸光賢室)
島正次烏丸万方祝 |一、嶋又左衛門尉方夜前罷下候よしにて、登城被仕候、 御万様へ御祝儀の御使しまひ、一段首尾よ
儀ノ使者ヨリ帰ル | く相調申候よし被申候也、
| 追記
小袖給与サル | 「御万様ゟ御小袖一重拝領申由、被申候事」
江戸ヨリノ飛脚ノ |一、江戸ゟ、御飛脚谷忠兵衛与飯田七左衛門罷下候事、江戸を三月廿三日に出、同晦日ニ大坂へ着、
旅程 | 則出船仕、今日小倉着申候事、
江戸ヨリノ書状 | 一、御年寄衆三人へ之 御書箱壱つ、右之七左衛門持参、
| (吉重)
| 一、修理・兵庫ニ 御書箱壱つ、内ニいよ殿へ之 御書・沢村大学殿へ 御書・佐藤将監ヘノ
| 御書参候事、
| 一、いよ殿へ、松井少吉ゟ状壱包参事、
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| 一、きくノ伊折やとへ、いおりの状壱包、これハ林隠岐ニ可被渡申由、黒瀬九郎右衛門ニ渡事、
三斎への眼薬 | 一、三斎様へ被進候御目薬、幷 御書箱壱つ参候事、御飛脚両人ニ持せ、中津へ差上申候事、
| 大学内
請取 | 一、沢村大学ニ被成下 御書慥ニ請取申候、 谷口助兵衛(花押)
| 一、佐藤将監へ被遣 御書、高波権平ニ持せ遣事、
| 一、いよ殿へ 御書壱つ・松井少吉ゟいよ殿への状壱つ包、くろせ九郎右衛門ニ渡候事、
| 〃
大橋ノ柱ヲ包ムニ |一、河田八右衛門・矢野勘右衛門ゟ、使にて被申越候ハ、大橋ノ柱包申ニ、松やに壱石御座候、柱六
三本ニ付松脂一石 | 本包ニ三本分御座候、〆壱石無御座候ヘハ、又三本つゝミ申ほと無御座候間、いま壱石急ニ入申
ヲ要ス | ニ付、松本彦進ニ申候ヘハ、当町尋候而、弐升か三升ほと外有間敷候由被申候、左候ハヽ、上方
更ニ一石ヲ求ム | へかいニ被遣候とも、急ニハ下り申間敷候間、御郡中へ被仰付、急度壱石ほと参候様ニ、被仰付
| 加被下由被申候、又残柱もかへ申候ハヽ、弐三石も松やに入可申候間、上方へ便御座候ハヽ、御
| 買下候様ニと被申越候、心得申候、面談可申通申遣事、
走加子ノ女房ヲ抑 |一、今度走り申御加子六助女房、前かとこうとうの坊遣申ものにて候故、こうとうの坊むすめ吉田彦
へ預リ先ヲ求ム | 右衛門妙坊にて候故、彼むすめニ■六助女房預り被申候哉と、古庄次左衛門・足立與兵衛を彦右
| 衛門所へ尋ニ遣候処ニ、彦右衛門女房被申候ハ、■尤前かと遣申ものにて御座候へとも、今度の
親ハ町人故女房ヲ | せんさく御座候ニ付、おやかたへ返し申由候間、おやハ町のものニて候ゆへ、吉田縫殿へ右両人
町牢ニ入ラシム | を以申入候ヘハ、得其意申候、請人立させ可申哉、籠ニ入可申哉と被申候間、籠ニ御入置可然
| 由、返事申候事、
いよ忠利ヘノ帷子 |一、殿様御召帷子五つ入ノ箱壱つ、いよ殿ゟ御上ヶ候、式ア殿ゟ、明日江戸へ人御下候使ニ、言伝下
ヲ言伝ス | 申候事、