津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■春を見つけながら・・

2021-02-07 12:02:48 | 徒然

 朝からシャワーをして汗が引くのを待っていたら、今度は背中がぞくっと来た。
まずいと思い散歩に出た。歩くとすぐに体が温まりこれで風邪をひくこともなかろう。
毎日同じコースを歩いていると、真新しいこともなくひたすら歩くことになる。
今日は春の気配はないかと歩道の植え込みなどに目をやったが、タンポポが花をさかせていた。
自衛隊側の植え込みの下草には、「のびる」と思われる植物が大いに繁茂している。
しかし丈がまだ10センチにも満たない。「これじゃ~のびるのぐるぐるにもならない」という感じである。

 居酒屋あたりに行くと、あてに「一文字のぐるぐる」なるものが出てくることが有る。
熊本には代表するような食べ物がなく、勢い「一文字のぐるぐる」「からしレンコン」「いきなり団子」などを挙げなければならない。
熊本の食文化のお粗末なことはこの品揃で歴然としている。

私は県外のお客様には「太平燕(たいぴーえん)」と答えることにしているが・・・。

 私が幼いころはこのぐるぐるなる食べ物は「一文字」ではなく「のびる」だった。
「のびる」をゆでて、根のところから3センチくらいの所で折り曲げぐるぐる巻きにする、それでおしまい。
これを数個皿に盛って、酢味噌をかけて食べるのである。これは飢餓食品ではないのかと私は理解している。
現代においては「のびる」が「一文字」に変化した。
我が家では時折奥方が作って出してくれるが、特段うまいものではないが、懐かしい味である。

 もう少しのびるが成長したら、「のびるのぐるぐる」も食してみたいものだと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(482)寛永七年・日帳(三月廿ニ日~廿六日)

2021-02-07 06:51:55 | 細川小倉藩

                     日帳(寛永七年三月)廿二日~廿六日

         |                        
         |    廿二日  奥村少兵衛
         |
         |一、今日大坂詰御小早上せ申由、平井兵介所ゟ候事来候事
         |                     〃〃
         | (規矩郡)
寿命院飛脚ノ給与 |一、寿命院ゟノ御飛脚ニ、いつものことく鳥目遣し可申旨、飯田才兵衛を以、被 仰出候事、
石坂川普請スレド |一、田川郡石坂川御普請場ゟ、小頭之孫兵衛罷帰候、御普請被 仰付候とても、舟ハ通申間敷と見及
モ舟ハ通ルマジ  |          (文左衛門)
         |  申候、しかれとも長谷部殿ハ通り可申と被仰せ候間、可仕様無御座通申候事、
岡部某付小姓ノ縁 |一、岡部庄ノ助ニ被成御付小性ノ御ふちかた切米、去年分月引ニ成申候、月引ニ成申ニ付、日引ニ不
         |                    (加藤)(粟野)
方切米ハ月引   |  成筈ニ候間、可被相渡由書付を以候て、新兵衛・伝介方へ遣候、但、庄ノ助者ニ持せ、松丸へ被
         |               〃〃
         |  遣候へと申候而、玄知をよひ、林隠岐ニ右ノ書付渡させ候也、
         | (蜂須賀忠英)
蜂須賀忠英室使者 |一、阿波様御内儀ゟ御使者被参候由、吉田縫殿被申候事、
         | (肥前松浦郡)
唐津ヨリ奉公人来 |一、唐津ゟ奉公人弐人参候、原田伊与衆へ状を取参候、又、三淵内匠内へも状取参候を、式ア殿・
ル  唐津ノ者ナ |  我々明候而見申候処、別条も無之候、右両人所へ敷ア殿ゟ人をそへ被遣候、からつのものに相究
ラバ有付ケ筑前ノ |  候は、爰元二有付候様ニ可被仰付候、又若、筑前之ものにて候ハヽ、此方へつれさせ可給候由申
者ナラバ連行セシ |  遣候事、
メム       |

         |                        
         |    廿三日  加来二郎兵衛
         |
忠利忠英室ノ使者 |一、松平阿波守様御前様ゟノ御使者、今朝被成御振舞候、左候而、御わきさし一腰被遣候、幷御使者
ヲ饗シ脇差ヲ与ウ |  ノ舟ニ樽弐可遣旨、才兵衛を以、被 仰出候事、
伊藤金左衛門与ノ |一、伊藤金左衛門与八田部次介と申もの、当町ニ曲事仕ニ付、金左衛門扶持を放、奉公構被申候
足軽ヲ奉公構トス |  処、上林甚介与ニ抱置申候、成敗をも可仕ものニ候へ共、いつれもあつかいニ仕、右之分ニ申付
上林甚介彼ヲ抱ウ |                                  (伊藤)
金左衛門ノ申入レ |  置候処ニ、甚介召抱置申儀迷惑仕候間、被仰付給候へと、金左衛門方ゟ十丞を以被申聞候間、則
ニ召放サシム   |  甚介をよひ、急度扶持被放候へと申渡候事、

         |                        
         |    廿四日  奥村少兵衛
         |
忠利終日溜池ノ茶 |一、今日、終日ためいけの御茶やニ被成御座候事、
室ニ遊ブ     |

         |                        
         |    廿五日  加来次郎兵衛
         |
忠利松井興長邸ニ |一、今朝は式ア少輔殿へ被成御成候事、
臨ミ侏儒ヲ見テ銀 |  式ア少輔殿にて一寸坊被成 御覧、御銀三枚被遣候事、
子ヲ与ウ     |

         |                        
         |    廿六日  奥村少兵衛
         |
長崎荷口明ズ   |一、長崎ゟ飛脚参候、此方ゟ被遣候御飛脚同道にて罷上候、荷口于今明不申由候事、
山奉行鉱山ヲ見立 |一、春木金太夫、平尾ケ台ニ見立を仕、掘せ候ヘハ、ちと金気御座候由にて、持参被仕候事、
ニちと金気アリ  |
忠利上方ヨリノ本 |一、上方ゟ、色々ノ書物売参候を、今夜被成御覧候事、
屋ノ書物ヲ見ル  |
         |(後筆)
         | 「昨夜
子供ノ喧嘩ニ父親 |一、大門之内五郎右衛門子と白田長斎子といさかい候処ニ、長斎罷出、五郎右衛門子をふミ候て、親ハ
出ル       |  なきか、出候へと申候由にて、五郎右衛門女房子をつれ、御門迄参候、五郎右衛門ハ折節御番ニ
         |                           (皆川)(林)
不届者      |  而有之候ニ付、五郎右衛門右之通申候、長斎不届者ニ候、治ア・隠岐へ右之通申候テ、其方腹ノ
         |  不立様ニ可被申付由申渡、女房宿へかへさせ候、右ノ子共ハ両人共ニ七つニ成申子ノ由候也、則
         |  右之段々隠岐へ申渡候事、」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする