津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■忠興側室を沼田延元内室に

2021-02-20 11:13:44 | 史料

 細川家家臣としての沼田家は細川幽齋室・麝香の兄・延清を初代としている。
二代目は四男・延元であるが、これは長兄・藤左衛門が福知山攻めで戦死、次兄は浅野長政に仕えて高麗陣で戦死、三兄は僧籍に入った故である。
大変剛毅な性格だったらしく、「沼田家記」ではその逸話がいくつも紹介されている。
叔母が幽齋夫人であることから、忠興とは従兄弟の間柄であり、そのことが彼の人間形成に大きく影響を与えていることもうかがえる。そんな延元が忠興から難題を持ち掛けられ大いに抵抗している。
それは忠興側室を内室にせよという命である。この人は真下七兵衛の妹とも娘ともされる人物だが、忠興との間に「岩千代」を成している。のちの松井寄之である。
沼田家記によると、慶長17年(1612)に内室が病死している。それから6年後(元和4年)の話である。
岩千代は元和2年の生まれだから2年後の話である。俗にいうおさげ渡しだが、忠興の心中は測りがたいがなんとも不可思議な話である。
切腹をも覚悟したとされるから、強硬な話であったのだろう。忠利が必死の説得をしたことが伺える。
しかしながら延元は寛永元年(1624)に死去するから、6年間の短い夫婦生活であった。
後室・永寿院のお墓が沼田家墓地(安国寺)に存在するのかどうか、いつか確認してみたいと思っている。

    一同(慶長)十七年九月御内室様御病死被成候 号大陽院殿 
          冨小路左衛門殿と申候公卿之御娘延元様御母公ニ而御座候叓
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    一同年(元和四年)の秋 忠興様御下向被成候而 北之丸様を 延元様
     御内室に可被遣と被仰出候得とも 延元様御同心無御座候
     御内證にて色々御異見等御座候得共切腹被仰付候得共
     此儀御請被成間敷との儀に御座候 其時分 忠利様ハ
     内記様と申中津に被成御座候 延元様と御挨拶能御座候
       〇内記様と申仲津ゟ夜遠シに小倉江被成御越直ニ
     に付延元様へ被遊御出種々様々に御扱御異見被遊
     貴殿切腹於被致は我等介錯可致候 其段に成候儀ハ無是非
     思召候間如何様に候ても此儀御同心可被成候 無左候ハヽ
     中津へ御帰不被成候間御感涙にて被成御意候に付て無據
     御請被仰上 忠利様もご満足被成被遊御帰候 左候而其
     暮か翌年か御祝言御座候叓 北之丸様後に号永寿院殿

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■細川小倉藩(495)寛永七年・日帳(五月朔日~四日)

2021-02-20 06:44:24 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年五月)朔日~四日

         |                        
         |    朔日  安東九兵衛
         |
         |  (波多)                                              国友半右衛門与小嶋
道仲上洛ニ船中賄 |一、道仲被罷上候ニ付而、船中賄奉行御鉄炮衆両人、財津惣左衛門与河並茂左衛門・佐分利兵太夫
奉行任命     |                                      〃〃〃〃〃〃
         |  権三郎
         |  礒井勘十郎也、
         |  〃〃〃〃〃〃
京都郡借米奉行算 |一、京都郡御借米奉行清田伝蔵・野瀬吉右衛門尉、御算用ニ罷出被申候也、
用ヲ始ム     |
朔日出仕ニ肩衣袴 |一、今日は何御侍衆肩衣・袴にて御礼御座候事、
ヲ着用ス     |
         |   (長晟)安芸広島42万石
浅野長晟使者ヘノ |一、浅野但馬様ゟ之御使者ニ、御帷子三・御道肥服壱つ被遣候事、
待遇       |                     〃
         |一、御樽弐つ、舟へ被入候へと 御意候て、被遣候事、御使者ニ舟橋太郎左衛門と申仁被参候也、

         |                        
         |    二日  加来二郎兵衛
         |
         |                 (広高)
野瀬某寺沢広高家 |一、野瀬吉右衛門尉被申候ハ、私兄寺沢志摩守殿ニ奉公仕居申候、見廻ニ人を遣申度奉存候、筑前之
中ノ兄ヲ見舞ハン |                         (正次)
トス   黒田領 |  内を通り申候か、如何可有御座哉と被申候、与頭嶋又左衛門尉ニ被相届、遣可被申由申渡候、又
通過ノ可否ヲ伺ウ |  左分別ニ而不成事候ハヽ、御年寄衆へ御談合可被申候間、とかく与頭へ可被申由、申渡候事、
与頭ノ指示ニ任ス |
         |    (元次)                   (華山、長門豊浦郡)
楊梅購入ノ足軽毛 |一、芦田與兵衛組井口少介・中国へ楊梅買ニ遣申候処、下山にて、毛利殿へ上り申やまもゝ見事ニ御
利家へ上ルヲ密ニ |  座候由、承及申ニ付、所のものを頼、かくし候て、壱荷かい候而罷帰候、則 御前へ上申候事、
求メ帰ル     |
宇佐郡ヨリ楊梅  |一、うさ郡佐田山ヨリ、楊梅弐籠、次飛脚ニ而持せ、差上申候、
         |      (延俊)
木下延俊へ音信物 |一、明日、木下右衛門尉様へ、まなかつほかすつけ五つ入小桶壱つ・山もゝ壱籠被進候、御小人二人
鯧ノ糟漬楊梅   |  ニ而被進候、弥介・も右衛門尉と申物也、

         |                        
         |    三日  奥村少兵衛
         |
鍼立意斎へ給与  |一、銀弐拾枚・御帷子弐つ・御単物壱つ、鍼立意斎ニ被遣候事、
京ノ町人へ給与  |一、銀子拾枚・御帷子三つ・御ひとへ物弐つ、京の作左衛門ニ被遣候事、
道仲へ給与ノ品々 |一、銀子三拾枚・御帷子三つ・緒ひとへ物弐・巻物五つ・せうか漬ノ杉箱壱つ、其外漬物・かうの物
上野焼ノ水差   |      (鬚籠)                              (波多)道仲ニ
金十枚ノ茶入   |  ・楊梅之ひけこ・上野焼ノ水さし・花入・うすいた・御道服色々、〇被遣候事、又金十枚仕候御
砂金       |  ちや入も被遣候事、砂金も二つかミ被遣由、
         |  (室、播磨揖西郡)
名村左太夫へ給与 |一、むろの左太夫ニ御帷子弐つ・御単物壱つ・御道服壱つ被遣候事、
         |     (如)               (肥前松浦郡)                                                          
菊原如庵長崎ヨリ |一、菊原女庵、長崎ゟ罷上候、買物とも平戸にて少仕申由、申候事、
来ル       | 

         |                        
         |    四日  奥村少兵衛
         |
道仲意斎等出船ニ |一、道仲・鍼立意斎・日爪作左衛門尉、今日罷上候ニ而、門司ニ而被成御振舞候、御奉行ニハ山本
門司ニテ振舞ウ  |  三四郎・真下七兵衛被遣候事、
忠利道仲ヲ本丸ニ |一、道仲、今朝は御本丸ニ而被成御振舞候事、
饗ス       |
惣積奉行等ニ蔵ノ |一、御蔵払之様子、伝介・新兵衛・甚丞へ申渡候、幷御蔵奉行山本弥兵衛・石本三介・田辺六左衛
諸払ニツキ申渡ス |  門ニ申渡候、溝口里兵衛ハ煩にて、登城不仕候事、

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