日帳(寛永七年四月)十三日
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| 十三日 加来二郎兵衛
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本丸ノ鷹餌ヲ京都 |一、小倉少太夫被申候ハ、御本丸御鷹之餌、爰元にて仕せ候へ共、取出不申候間、京都郡へ御ゑさしを
群ニテ餌差ニ捉ラ | (苺)
シム 苺採リ | 遣度存候間、鳥を持はこひ申御小人二人渡被下候様ニと被申候、則小頭所へ此段申遣候、いちこ
| をとらせ、ひま無之候共、其内を一人成共遣候へと申遣候也、
| (吉田浄元)
盛方院無事京着ス |一、牛嶋一郎右衛門尉罷下候被申候、盛方院御無事ニ被成御着候由、則盛方院ゟ銀子壱枚・ほうずいた
ほうずい丹 | 〃
| (貝) (浄珍院、松井康之女) (亀 綾 縞) (長沢顕長室、沼田清延女)
| ん一かい、又盛方院御母様ゟかたひら一つ・杉原壱束、かめやしま一たんハ、いよ殿ゟ一郎右衛
| 門ニ給候由、
| 盛方院ゟ何へも被下者数覚
| 御船頭
| 一、唐もめん ニたん 河村弥右衛門、
| 小早御船頭
| 一、こくらしま 一たん 田中作兵衛、
| (舵)
| 一、嶋もめん 一たん かち取二兵衛、
| 一、唐もめん 一たん 村松長右衛門、
| 一、銭六百文 御鉄炮衆二人ニ被下候、
| 一、同四百文 御長柄衆二人ニ被下候、
| 右之前被下候由、牛嶋書付被持下候、則書付を 御前へ差上候由、被申候事、
京詰三人ヨリ言上 |一、京三人よりノ言上ノ文箱一つ、一郎右衛門持下、上ヶ被申候也、
状
|一、宇治へ被遣歩野御小性ハ高橋久左衛門也、
| (重澄)金守可重七男
酒井重澄書状忠利 |一、牛嶋一郎右衛門尉下之時、酒井山城守様ゟ殿様へ被進之候御状壱通、才兵衛を以、御前へ上ル、
宛ヲ金森重近中継 | (重近)山城守の長兄・茶人として有名
ス | 此御状は金守宗和様まて参、宗和ゟ京のをく殿まて被遣候ニ付、小倉へ便次第差下候へ之由に
| て、をく殿ゟ京衆へ御渡候を、此度京衆被下候也、
永嶺某兄弟喧嘩ノ |一、桑原主殿与永嶺左右衛門せかれ弥五郎、去年兄弟いさかい仕、十方なく罷出、黒崎口人留へ参懸
未途方ナク人留ニ | り候を、とらへ来候ニ付、御年寄衆御談合にて、質へやへ御入置候を、今朝被 聞召届、被成御
懸リ捕ヘラレ質部 | 助、親左右衛門ニ被下候也、
屋ニアリ 忠利 |
赦シ親へ渡サシム | 弥五郎おちニて候ニ付、
質部屋番叔父ナル |一、永峯弥五郎しちへやニ被為入置ニ、しちへや御番永峯彦右衛門ハを新籠御番一宮三右衛門ニか
故新籠番と替ラシ | 〃
ムルヲ旧ニ復ス | わし御番申付候処ニ、右弥五郎今日御助被成、御上ヶ被成候ニ付、御番衆もと/\のことくかわ
| り候へと、申付候事、
上方ヨリノ生雁ヲ |一、上方ゟ、いき鴈五つ下申候を、羽ふしをきり、ためいけへ被成御放候事、羽ふしきり申儀、山
羽節ヲ切リ溜池ニ | 本仁介ニきらせ申候事、
放タシム 羽節 |
ハ鷹匠ニ切ラシム |
| (可政)
|一、加々山主馬所ゟ式ア少殿への状壱通、小野九右衛門・佐藤少左衛門所ゟノ状壱通、式ア少殿へ持
| 遣候事、