日帳(寛永七年三月)十四日~十六日
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| 十四日 奥村少兵衛
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| (規矩郡)
忠利貫山ニ狩ス |一、今日ハ貫山にて被成御狩候事、 (主水)
多賀不動院祈祷札 |一、多賀不動院ゟ、御札弐包・扇箱壱つ・白キ壺・山鍬壱かけ・御状、大坂迄参候由にて、寺嶋ゟ被
他諸品ヲ上グ | 差下候事、
|一、嶋村三郎兵衛被罷下候事、
| (正次) (守信)共に大坂町奉行
安部正次水野守信 |一、又大坂ゟ御小早罷下候、阿部備中様・水野河内様ゟ御急用ノ由に而、御状寺嶋所へ被下候、御船
ヨリ急用ノ状下ル | 頭続仁右衛門尉持下候、大坂を十二日に出船仕由、申候事、
| (長沢顕長室、沼田清延女)
伊与ヨリ奥方ノ客 |一、しふかミ包壱つ、伊与殿ゟ御奥御客人にあたり申候を、右仁右衛門尉持下候、御掃除坊主玄斎ニ
人へ包届ク | 渡申候事、
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| 十五日 加来二郎兵衛
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| (山名宗由)重政弟
三淵宗由江戸へ使 |一、今日三淵藤十郎殿、江戸へ為御使者被遣候事、
ス |
|一、長崎へ御飛脚差下申候事、
忠利書状 | (一通)
稲葉一通宛 |一、稲葉民ア少輔様へ御飛脚ニ 御書箱持せ被遣候事、
| (高成)
毛利高成宛 |一、毛利摂津守様へ御飛脚にて 御書箱持せ被遣候事、
| (通春)
久留嶋通春宛 |一、久留嶋越後様へ御飛脚ニ 御書箱持せ被遣候事、
| (延俊) (久盛)
木下延俊宛 |一、木下右衛門太夫様ヘハ次飛脚にて、御書被進之候、中川内膳様へ之 御書箱も右衛門様へ被遣、
中川久盛宛之書状 | 右衛門様ゟ持せ被進候筈之由候、
ヲ延俊ニ託ス |
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| 十六日 加奥村少兵衛
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| (吉田浄元) 十束
盛法院帰洛ニ銀子 |一、盛法院殿明日被成御上候ニ、銀子三拾枚・御小袖三つ・なんはんのつけ物二つほ・中折かミ百束
等ヲ贈ラル | 〃〃
| 其外御奥ゟ色々被進之候也、
盛法院船中賄奉行 |一、盛法院船中御賄奉行ニ、牛嶋一郎右衛門御上せ被成候、又京にて、いよとのへ市郎右衛門為御
伊予宗珠院宛書状 | (宗珠院)
| 見廻被遣旨にて、いよとのへの 御書・そうしゅゐん殿への 御書、又御きやくしんゟいよとの
| (飯田)
| へ参候しふかミの包ノ小箱壱つ、才兵衛被持出候を、一郎右衛門ニ相渡候事、
木下延俊ヨリ次飛 |一、木下右衛門様ゟ、次飛脚にて御文箱参候、一昨日次飛脚にて、此方ゟ被進之候御文箱ノ御返書に
脚 | (長氏)
| て可有之也」、平野九郎右衛門を以、上申候也、
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忌明ノ拝謁願 |一、有田次左衛門被申候ハ、母相果申ニ付、此中終ニ 御目見え夫仕候、いミ明申ニ付而、今日 御
| 目見ニ罷上由申候事、
| (下村已庵)
下村已庵ノ腫物八 |一、八喜慶閑・上田太郎右衛門、中津ゟ被罷帰候、已安腫物中/\大病にて両人療治ニ而叶不申、被
喜慶閑等ノ治療効 | (村上景則) (元高)
ナク死ス | 相果候由被申候、長岡河内・志水次兵衛・蒲田賢斎ゟ、已安被相果候様子被申越候状、治アを以差
忠利不敏ガリソノ | (ママ)
状ヲ見ズ | 上候処ニ、不被為及被成御覧旨にて其返し被成候、不便ニ被 思召由 御意事、奉修理・兵庫也
筑前へ逸レシ隼ヲ |一、筑前ゟそれ申候御隼をすへ、若松口へ参候由、村田彦市申上候処、銀子壱枚可遣旨、被 仰出ニ
戸畑村ノ庄屋居ヱ | 付、歩之御小姓荒木権■■■左衛門持せ遣、渡申候、筑前之内御牧郡之内戸畑村之庄や哉右衛門
来ル 銀子ヲ給ス | すへ参候事、