津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■猿木宗那は、私の母方の祖母の父親・・です

2021-02-09 17:33:11 | オークション

小堀流 古式 泳法 資料」検)細川藩 熊本藩 踏水術 泅術目録 六代師範・猿木宗那 水泳 古武術 明治期 秘伝書 極意書 小堀常春 
          

 随分長く同居していた母方の祖母は、熊本の古式泳法である小堀流の六代師範である猿木宗那の長女である。
私は全く興味がなかったが、長ずるに及んでやっておけば良かったと思ったことが有る。
姉が、「六代師範の曾孫がプールに沈んだらお笑い草だよ」と大いに私を馬鹿にしたことを思い出している。

その曽祖父の資料がまとめてヤフオクに出品されている。私信が含まれていたら少々頑張ってみようと思うが、みんな小堀流に関する物の様だ。
しかし曽祖父の資料がこんなにまとまって何処から出たのだろうと、そちらに気がひかれている。

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■細川小倉藩(484)寛永七年・日帳(四月朔日~二日)

2021-02-09 07:18:23 | 細川小倉藩

                     日帳(寛永七年四月)朔日~二

         |                        
         |    朔日  奥村少兵衛
         |
はたものヲ黒崎口 |一、田川郡今任村之彦兵衛、今日黒崎口へ、はたものニ御かけさせ被成候事、
ニ懸ク 子ハ赦免 |  右之せかれ権三郎ハ被成御赦免候ニ付、田川へ御鉄炮衆壱人付、御郡奉行衆へ遣候事、
サル       |
         |      (坂崎)
忠利坂崎一角邸ニ |一、今朝は一角所へ御申被仕候事、
臨ム       |
         |一、岡本源次被申候ハ、寺井十兵衛此中さん/\相煩、御普請場へも不罷出候間、各様迄申上くれ候
         |  へと、被申候由、被申候事、
上林甚介挽茶ノ見 |一、上林甚介御茶仕上候色を見候へと申候而、引茶少持参申候事、
分ヲ願ウ     |
         |     (村上景則)
三斎ヨリ鷹ノ雁幷 |一、中津ゟ、河内飛脚被差上候、江戸ゟ便宜ニ、御鷹之雁箱ニ入参候、又去年之壱万石ノ御借状被成
ニ寛永六年壱万石 |                       (飯田)
ノ借状戻ル    |  御戻由にて、持せ被差越候、則 御前へ上申、才兵衛ニ渡申候、
三斎書状     |   三斎様ゟノ 御書箱壱つ、
         |  (細川光尚)
光尚書状     |   御六様ゟノ 御書箱壱つ、
         |  右何も上申候事処、則 御返書被進候、御六様へ之御返書も一つ御文箱ニ入、貴田藩左衛門ニ当
         |  り被進之候也、

         |                        
         |    朔日  加来二郎兵衛
         |
米打ノ奉行    |一、中川四左衛門申候ハ、御小々性衆を以、十日斗懸申御用被仰付候、今迄ハ御米打申御奉行被仰付
         |  候、若御米打候ハて不叶儀共候ハヽ、かわりを可被仰付由申候、心得候由申候事、
         |   (忠知)忠興室の実弟
小笠原忠知へ返書 |一、小笠原壱岐様への御返書ノ御文箱、歩ノ御小性守友市太夫ニ持せ遣、御飛脚ニ渡させ申候也、
         | (室、播磨揖西郡)                  (政朝)                 (名村)
鞣革買入     |一、むろゟ、なめしかわかい下候便ニ、本多甲斐様ゟ被進候御文箱、むろ左太夫処迄ひんき次第下候
         |  へと候て、参居候由にて持下ル、小林久助ニ持せ、御本丸へ上ヶ申候事、
         |      (佑)
藤北三祐ヘノ進物 |一、藤北三丞殿へ被進物数の覚
数ノ覚      |  一、御小袖袷ヲ、
         |  一、はなもうせん三枚、
         |  一、銀子廿枚、同人御袋様へ、
         |  一、どんすのはかま壱つ、
         |    (繻 珍)
         |  一、しゆちんノはかま壱つ、    (佑)
         |  一、杉原五束入壱つ、     三丞殿内     
         |  一、小袖壱つ、           喜内へ
         |  右之御使者続権右衛門尉也、
藤北三佑上ル二ツ |一、藤北三佑殿御上りニ付、藤掛蔵人を付、被成御上せ候処、明朝三佑殿ニ、御門出之御ふる廻可被
キ藤掛蔵人ニ随行 |  成由、被 仰遣候ヘハ、三佑殿御返事ニ、蔵人被付遣候筈ニ候へ共、蔵人上り被申儀不罷成候、
ヲ命ゼラル 門出 |  其子細ハ、手前すり切はて、こしらへ不罷成候、出船二三日ものべ
、其内ニ才覚可仕由、被申候
ノ振舞 藤掛蔵人 |  由、御請被申上候処ニ、修理・兵庫・式ア殿も有相候て、かやうニ可有之儀ニ而ハ無之間、修理 
摺切果テ仕度ナラ |  ・兵庫、かり主ニ罷成、銀子五十めほとかり候て遣候へと、式ア殿被仰候付、此段加来二郎兵衛
ス 惣奉行ニ代リ |  を以、松之丸衆へ申遣候ヘハ、さやうニも仕にくき儀候間、蔵人殿内儀之知行余米少有之由、被
借主トナリ銀子ヲ |  申候間取置候、免付帳ニハ余米無之候へ共、銀子八十めほとかし可申申由、被申候也、
貸サントス 蔵人 |                                〃
内儀ノ知行余米ヲ |     藤掛蔵人 物奉行 五百石  (於豊前小倉御侍帳)
引当テ貸サム   |       内儀 冷泉為将長女 百石(於豊前小倉御侍帳)
免付帳ニハナシ  |
         |一、高並権平登城にて被申候は、高並源兵衛相煩、先月廿鉢日ニ相果て候由、被申候也、
         |  (稲葉信通)           (ママ)
稲葉信通従者人数 |一、彦四郎様御道具持弐人・小々者八人・下男五人、宿奉行ニ御鉄炮衆両人申付候、両人共、横山助
         |  進与久野市兵衛・中村茂左衛門尉、
自徳院領ノ庄屋ノ |一、自徳院之御知行所国東郡両子村之庄や二左衛門小者忠二郎、爰元へ日用取二参、罷帰候とて、黒
小倉帰途ヲ間違へ |  崎口人留へ参懸候二付、西村善兵衛介、めしつれ、式ア殿へ参候処ニ、山本源太夫を被付遣、被
人留ニ捕ル    |                                   (有吉英貴)(米田是季)
         |  仰聞候ハ、右之分二道をふミちかへ申由申候、我等共に様子を承、さ候て、頼母殿・監物殿へも
偽リノ申告    |  めしつれ参候へと被申候間、源太夫被申候、右忠次郎口上をも承候ヘハ、人留へ与風参懸、改被
         |                             〃
         |  申候二付、別に可申様ハ無御座候二付、彦三へ人二被頼、札申請二参候と申候へ共、此儀ハいつ
         |  わりにて御座候、むさと道をはふミ違へ、参候由申候事、
         |               〃
藤北三佑逗留中ノ |一、河村七左衛門を、藤北三佑様当地逗留中、御のり物奉行二付置候処ニ、肩衣・はかま一下被下
乗物奉行へ衣料ヲ |  候由申候事、
与ウ       |                                      右二色
船頭へ給与    |一、右御下ノ時の御船頭重田吉左衛門ニ、御肴一折・御樽壱つ、其刻火遣由申付候付、書付上申候事、            


     


  

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