90%白髪頭になったころ「司馬遼太郎風」白髪頭と書いたら、或ることで問い合わせをしてこられた女性が「ボブですか?」と聞いてこられたことが有った。
「ボブ」とはおかっぱ頭のことだが、あとで思わず「俺には似合わないヨ」と突っ込んだことであった。
現在の私は99%の白髪頭となったが、髪の毛の癖が悪く、少し伸びると耳元で髪の毛がはねるから司馬さんの様にはいかない。
史談会も近いし、そろそろ床屋に行かずばなるまいと思っいるが、最近は散歩以外は外に出るのが億劫で、司馬さん状態まで伸ばしてみようかしらと思ったりしてもする。
最近は、眉毛が白くなりだした。毛抜きで抜いたりしていたら残りが少なくなり、下手をすると公家さん眉になりそうな感じ・・・
まずいと思って止めて、しみじみわが顔を鏡に映すと、無精ひげも白くなり「顔面殆ど白」状態になっている。
日帳(寛永七年四月)廿七日~晦日
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| 廿七日 安東九兵衛
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| (規矩郡)
道庵田之浦逗留中 |一、道庵田之浦二御逗留間被為付置、御用等を承候へと、申付遣候歩之御小性吉村次左衛門・渡辺六
ノ接待 | 太夫也、
|一、同人様へ御音信の御使者ニハ、歩之御小性山路勘左衛門也、
|一、朔日殿様めし候御舟ニ、扇子壱本御座候由弐而、御船頭村上七左衛門持被来候、主有之ハ遣し
| 可申由に而、請取置候事、
普請日行事 |一、永良孫太郎儀、腹中気ニ御座候、然共、ふせり居申ほとニハ無御座候、御普請日行司ニ而御座候
地謡ニ欠席 | と
| ニ付、御普請場へハ相詰申候、長袴にて御能地謡ニ出申儀罷成間敷被申候事、
笋 |一、矢野少右衛門尉煩候て、今度御能地謡ニ不被罷出候事、
能興行ニ箏ヲ郡奉 |一、明日御能ニ付、御台所の御用ニ、竹ノ子、当郡にて取せ可申旨、小崎與次右衛門所へ申遣候処、竹
行ニ採ラシム | ノ子七拾本取せ申候而、被差上候、則浦上せ兵衛ニわたさせ申候也、
中津村笛吹登城ス |一、中津ノ笛ふき新兵衛登城にて被申候ハ、今日爰元参着申候へ共、何方とも不存候ゆへ、不罷出候
| 由ニて、登城被仕候事、
| (衝長) (三淵重政)
谷衝長三淵重政妹 |一、谷内蔵丞殿へ、右馬助殿御妹子、今夜祝言有之事、
ト祝言ス |
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| 廿八日 賀来次郎衛
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|一、今日御能被進筈候つれ共、朔日ゟ大雨ふり申ニ付、今日ハ被成御延候事、
荒井鹿毛ヲ売払ウ |一、上田忠左衛門途上にて、荒井鹿毛を銀子拾匁ニ売付申候由被申候、御用ニ不立御馬にて、それ高
用ニ立タザル馬 | 直ニかいて無之候ヘハ、御かい料御損候ま、さやうニも可然候由、申候事、
中津村ノ笛吹ニ被 |一、中津ゟ参候笛吹ニ、御小袖壱つ・御かたきぬ・御はかま壱下り被遣候事、
物 |
総持寺使僧ニ本丸 |一、能登捴持寺ゟ被参候使僧、御本丸にて被成御数寄候也、
ニテ数寄ヲ催ス |
薬師道庵出船ス |一、道庵田之浦へ御逗留間、御用等茂可在之ため、吉村次左衛門・渡辺六太夫被為付置候、道庵御舟
| 茂今朝五つ時分ニ被成御出船由、右両人被申候、自然海中にて天気悪敷成、又田之浦へ御もとりの
| 能
| 儀茂可在之かと存候而、昼過まて、田之浦へ罷有候へとも、次第ニ天気茂〇罷成、別条替儀茂無
| 御座候間、両人ともニ罷帰候由被申候、道庵被仰候は、これまて被入御念、人を被為付置、忝思
| 召候、此の宗御奉行衆まて申届、御奉行衆ゟ茂可然候様ニ 殿様へ被仰上候様ニ申候而くれ候様ニ
| と、道庵被仰候由、次左衛門・六太夫被申候也、
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| (ママ)
| 廿九日
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忠利演能 |一、今日ハ御能被遊候事、
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| 晦日 安東九兵衛
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稲葉信通ヲ本丸ニ |一、彦四郎様、今朝御本丸にて被成御振舞候也、
饗ス |
| (正成)
信通同道藪正成邸 |一、今晩、藪図書所へ、彦四郎様被成御同心、御成候也、
ニ臨ム |
| (規矩郡) (専 教 寺)
蒲生へ川狩ノ予定 |一、二三日ノ間ニ、蒲生へ御河かりニ被成御座候、御やとハせんきやうしにて候、御やとこしらへニ、
宿舎ヲ専教寺トス | (正慶)
| 真下七兵衛・加々山権左衛門被参候、手伝人、其外入申諸道具、明日持せ被下候様ニと被申候、
| 得其意候由、返事候事、