一週間ほど前から花粉症の症状で、眼が痒くなり始めたが、二日ほど散歩を休んで小康状態となった。
処が昨日・今日の散歩で元の木阿弥となり、又かゆくなりだし、瞬きしてもかゆい感じ・・・
度々目薬をさして、がまんしてこすらないようにしているが、耐え難い感じがしている。
鼻水も少々、時折爆発的なくしゃみをして奥方のひんしゅくをかっている。「肋骨が折れるよ・・・?」と。
しかし、マスクをつけているから、例年にくらべると鼻水現象は軽いような気がする。
眼は眼鏡ではカバーしきれないようだが、花粉症のせいで散歩中止というわけにはいかない。
暫くはつらい季節が続きそうである。
日帳(寛永七年五月)九日~十日
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| 九日 奥村少兵衛
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| (正直)
田川郡奉行惣庄屋 |一、河喜多五郎右衛門尉幷猪膝太郎左衛門尉罷出候、木代村之久左衛門尉を打果申候ものハ、いとこ
殺人ノ状ヲ報告ス | の喜兵衛ニ相究候、昨日かの喜兵衛状を調、猪膝太郎左衛門門ニ立置申候、文躰ハ久左衛門尉儀
喜兵衛札ヲ惣庄屋 | ハ親之かたきにて候ゆへ、夜前一刀うらミ申候、乍去、夜中之儀ニて候故、果申したる儀ハ不存
ノ門ニ立置ク | 候、もはや本望ハとげ申候間、然上ハ、御間悪敷国へ参居申候も、公儀を憚さるにて御座候間、
久左衛門ハ親ノ仇 | ニ三日中ニ其地へ罷越、如何様ニ成共、 御意次第ニ可仕とかき候而、文をたて置申候由ニ而、
領主ノ仲悪シキ国 | 右両人持参被仕候、御年寄衆へ被申候へと、申渡候事、
ニ在ルハ公儀ヲ憚 |
ラザル儀 立帰リ |
御意次第ニセム |
|(後筆) (鷹家村)
高家村ノ者走リテ |「一、うさ郡武家のもの、前かとハ三淵内匠殿ニ奉公仕居、走候而、近年ハ筑前へ罷居、筑前ゟ女を
筑前ニアリ | 盗、日田へ通候とて田川ニ而とらへ、連れ参候を、女ハ筑前へ、生源寺市兵衛を御そへ候て、境
| 目迄被遣候、かの男ハ町籠ニ入置申候事」
| (沼隈郡)
東岸寺届ナシニ広 |一、東岸寺、去年吉田縫殿助ニも届なしニ、備後ノ鞆ニ、東岸寺母有之を見廻ニ被参由候、左候而、
嶋ノ師ノ後住ニ移 | (安芸安芸郡)
ル 檀家等東岸 | 広嶋ニ主師匠被居候処、被相果由候而、師匠ノ寺ニうつり被申候由承候、左候ヘハ、爰元東岸寺
寺ニ長老ヲ呼ビ下 | ノだんなとも本寺へ申候而、長老壱人よび下申候、御次而を以、御目見え仕せ度由、縫殿被申候也、
シ拝謁ヲ願ウ |
| (延俊)
木下延俊ヨリ音信 |一、木下右衛門太夫様ゟ御飛脚一人参候由にて、御文箱幷海老の鬚籠壱つ参候由にて、よしだ縫殿助持
| 参被仕候也、
| (上林) (菰)
溜池ノ雁復死ス |一、花坊申候ハ、ため池ノ鴈壱つ、又死申候、甚介組ノもの、こもをかり候て見付申候、何共迷惑仕
| 通、申来候事、
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| 十日 安東九兵衛
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三斎ノ買物代銀ヲ |一、永崎へ三斎様御買物代銀積下候御船頭重田吉左衛門尉・舟下五郎兵衛、今日罷戻候、永崎荷口
長崎へ届ク | 未明不申由申候、御銀無事に積下、安井太右衛門尉ニ相渡候由、被申候事、
| (近利)
津川休閑下着ス |一、津川休閑様、今朝御下着被成候、上下五人にて御下候由也、
上方ヨリ出家等下 |一、来月上方ゟ、御出家集御下候、御迎舟ニ五拾丁立壱艘・十端帆壱艘、弐十丁立ノ御小早壱艘上せ
向スルニ迎舟 | (鏡)
| 可申由、加々見善右衛門尉被申候事、
走リシ船頭ノ養女 |一、御船頭林六右衛門尉やしないむすめ被召上候、そのせかれ五つニ成申候を、皆川治アに預置申候
ヲ召上ゲソノ倅ヲ | 事、
皆川治部ニ預ク |
忠利走リシ船頭町 |一、御船頭林六右衛門女房・町水夫孫市女房・同四つニ成申むすこ、遠江灘にて走申ニ付而、今日
水夫ノ妻子ヲ誅伐 | 御誅伐被 仰付候也、
セシム |
朽木昭知京へ使ス |一、三淵内匠京都へ御使ニ罷上候ニ付而、表御納戸ゟ御帷子かミ袋ニ入候而、書状相添申候を御言伝
帷子等ノ請取 | 候、慥請取申候、内匠ニ可申聞候也、 三淵内匠内
| 堀平太夫(花押)
津川休閑へ乗物舁 |一、休閑様へ御乗物かき四人、御小人ノ内より付置候へと、小頭之左右衛門尉ニ申渡候事、
ヲ付置 |