津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■明日は史談会の例会だというのに・・

2021-02-26 15:04:48 | 徒然

 今日は風雨の一日となり、散歩も取りやめとしました。
花粉も少しおさまっつているのでしょう、目のかゆみは相変わらずですが、くしゃみ・鼻水は小休止の状態です。

あすの史談会の会場で、大きなくしゃみを連発するのはまずいなと思っていましたが、何とかなりそうです。
処が花粉症の替りに、少し気温が下がったせいで、胸が痛くて仕方ありません。少々左手がしびれています。
本人には自覚症状みたいなものは全くないのですが、CT検査の結果として、過去に軽い脳梗塞の疑いがあるとドクターに言われ、ニトロの処方を受けています。

そのニトロを服用してみようかと思っていますが、そこまでの心配もなかろうとも思い様子見状態です。
あすはPCを持ち込んで、プロジェクターで史料の投影をしなくてはいけませんから、荷物も重くなりそうで・・・
私の史談会でのお世話も今月・来月の二回のみとなりました。本当に最後の御奉公といった感じです。
明日はニトロを以て出かけることにしましょう。

「寒いのが心臓に悪いのなら暖房を入れなさい」と奥方がうるさく言っています。

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■大塚喜兵衛兄弟三人の召出しと喜兵衛の殉死

2021-02-26 12:45:50 | 人物

 今日取り上げた「■細川小倉藩(501)寛永七年・日帳(五月廿日~廿三日)」に大塚喜兵衛とその弟二人の召出しに関する記述がある。
親の仇である従兄弟を殺害し、これが忠利の感動するところとなっての兄弟三人の召出しである。
そして喜兵衛に300石、二人の弟にそれぞれ100石があてがわれている。
まるで戦場において首を上げたことを讃えるような大判振舞である。
いかにも「寛永」という時代背景と、忠利の嗜好みたいなものを感じさせる。
殺害された父親の禄高がどの程度のものであったのかはよくわからないが、その知行は四歳になる遺児に渡されている。
その経過は次のようなものである。

                 寛文七年六月「日帳」より
      6/8:田川郡木代村之甚右衛門尉子供走候而、筑前之内ニ居候つるか、木代村へ参、
         いとこノ久左衛門尉を、去ル六日ノ夜打果候而、いずくとも(なく)参由、郡奉行より
         申来候、仁躰ハ見届不申候へ共、定而、右ノ兄弟(喜兵衛、五郎、仁右衛門)参候
         而可仕と存由、いのひさ(猪膝)太郎左衛門尉申候由ノ書状ニ候也
      6/9:河喜多五郎左衛門尉并猪膝太郎左衛門尉罷出候、木代村之久左衛門尉を打果申
         候ものハ、いとこの喜兵衛ニ相究候、昨日かの喜兵衛状を調、猪膝太郎左衛門尉ニ
         立置申候、文躰は久左衛門尉儀ハ親之かたきにて候ゆへ、夜前一刀うらミ申候、乍
         去、夜中之儀ニ候ニ而候故、果申たる儀ハ不存候、もはや本望ハとげ申候間、然上
         ハ、御間悪敷国へ参居申候も、公儀を憚さるにて御座候間、ニ三日中ニ其地へ罷越、
         如何様ニ成共、御意次第ニ可仕とかき候而、文をたて置申候由ニ而、右両人持参被
         仕候、御年寄衆へ被申候へと、申渡候事
      6/22:
        ■木代村ノ喜兵衛、兄弟三人ともニ被成御赦免、一命扶被下候事
        ■右喜兵衛ニきられ申七(久)郎右衛門尉せかれ、四つニ成申ニ、喜兵衛親甚右衛門
          知行其まヽ被下候事
        ■木代村ノ喜兵衛ニ御知行三百石、弟両人ニ百石宛被為拝領候、左候而御前ニ被 
          召出、喜兵衛さかつきを 殿様被 召上、御帷子弐つ宛・御肩衣・袴弐下宛被為拝
          領候、左候而、忝 御意ともヽヽ御前之衆いつれもかんるいをなかし申候事
        ■右喜兵衛重而被 召出、御腰物壱腰被遣候、左候而、御感状被遣候事

 さてその喜兵衛、忠利の没後殉死に及んだ。これは万人の納得する処であったろう。
三人兄弟を代表した形であった。
他人を殺害し、その行為が讃えられて殉死に及んだ人としては、忠利代の寺本八左衛門や、三斎に殉死した興津弥五右衛門などがある。

 

 

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■細川小倉藩(501)寛永七年・日帳(五月廿日~廿三日)

2021-02-26 07:13:24 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年五月)廿日~廿三日

         |                        
         |   廿日  奥村少兵衛
         |
中津廻リニテ瓜ヲ |一、山村三丞、中津まハりにて瓜弐拾買調、次夫にて持せ差上申候間、則御掃除坊主祐甫を以、御本
調達本丸へ上グ  |  丸へ持せ上申候、
惣奉行等升ノ試シ |一、昨日、舛のためしニ中嶋御蔵へ、修理・兵庫・粟野伝介・加藤新兵衛・豊岡甚丞・浅井五左衛門
ニ中嶋ノ蔵へ赴ク |  尉、此衆被参候事、
         |                                       (太夫ヵ)
         |一、杉新右衛門尉幷御鉄炮衆二人、其外御物四駄ほと、明日つミ上り候御船頭三木清兵衛と申候也、
         |   (広高)
寺沢広高使者来ル |一、寺沢志摩殿ゟ使者被参候、岡三介と申候仁也、
大坂ニテ金小判五 |一、新右衛門尉、明日被罷上候ニ付、大坂ニ而、金小判五百両調被渡候へとの切手壱枚、又京都ニ而
百両調達ノ切手  |  御買物ノため銀子弐拾貫目、京衆へ被渡候へとの切手相渡申候、又大坂衆・京衆・江戸御留守居
京ニテ買物用ノ銀 |                        (自徳院、松井康之室、沼田光長女)  
子二十貫ノ切手  |  衆へ之状とも、新右衛門ニ渡申候事、又式ア殿ゟしとくゐん殿へ四角成あまかミ包ノ箱、同人ニ
松井興長ヨリ自徳 |  渡
員ヘノ箱     |

         |                        
         |   廿一日  加来二郎兵衛
         |
         |一、今日、江戸へ為御使杉新右衛門尉・吉田十介、御鉄炮衆弐人被遣候、御物色々相渡、上せ申候、
         |  乗せ上り候御船頭ハ三木清太夫と申者也、
浅見某父餓死後ノ |一、浅見八兵衛申候ハ、親五兵衛相果候以後、見廻不申候、かつゑ死申候間、ちと見廻参度由申候、
見舞ヲ願ウ    |  与わキ片岡新兵衛も同前ニ被申由申候事、
         |(ママ)
         |一、

         |
         |       (ママ)                        
         |   廿二日  
         |
         |  (田川郡)
仇討セシ大塚喜兵 |一、木代村ノ喜兵衛、兄弟三人ともニ被成御赦免、一命扶下候事、
衛兄弟赦サル   |
         |            (久)
討タレシ者ノ伜ニ |一、右喜兵衛ニきられ申七郎右衛門尉せかれ、四つニ成申ニ、喜兵衛親甚右衛門尉知行其まゝ被下候
喜兵衛親ノ知行ヲ |  事、
与ヘラル     |
         |
仙石政俊使者来ル |一、仙石兵助様ゟ御使者御座候由、吉田縫殿ゟ被申聞候、御やと奉行ニ、かちノ御小性塩津勘兵衛申
宿奉行      |  付候、御使者ハ上下ノ由也

         |                        
         |   廿三日  奥村少兵衛
         |
         |三斎様へ被進候御書箱弐つ幷奉行所ゟノ状壱つ、御飛脚ニ渡候也、
江戸へ俄ニ早飛脚 |一、今日江戸へ、俄ニ早飛脚として御鉄炮衆両人、神西與三右衛門尉与永田う兵衛・桑原与村上甚右
忠利書状三斎宛  |               (ママ)
         |  衛門尉、此両人被遣候也、但
         |一、右ノ御飛脚乗上り申候御舟ニ、仙石兵助様ゟノ御使者も乗せ、上せ申候事、
         |一、上方ゟ、遠山長五郎親罷下候ニ、京ノ三人衆ゟ言上、言伝被差下候を、長五郎小性ニ持せ被差越
         |           (飯田)
         |  候を、九兵衛ニ持せ、才兵衛ニ渡申候事、
忠利父ノ仇ヲ討チ |一、木代村之喜兵衛ニ御知行三百石、弟両人ニ百石宛被為拝領候事、左候而御前ニ被 召出、喜兵衛
シ大塚喜兵衛兄弟 |  さかつきを 殿様被 召上、御帷子弐つ宛・御肩衣・袴弐下宛被為拝領候、左候而、忝 御意と
へ罷業ヲ与ウ   |  も/\御前之衆いつれもかんるいをなかし申候事、
召出シテ自ラ盃ヲ |
受ケ衣料ヲ与ウ  |
何レモ感涙ヲ流ス |
         |         近藤
三斎付台所人筑前 |一、三斎様御台所人〇三右衛門尉、筑前へ走り居申候処、筑前ゟとらへ、今日渡申付、横田権佐・続
へ走リシヲ捕へ渡 |  (敦行)
サル       |  平右衛門両人受取ニ被遣、左候而、彼囚人乗物ニ御乗せ候而、中津へ被遣候、但、御奉行ニは星 
中津へ送ル    |  野半太夫・大塚忠兵衛両人被遣候也、
仇討ノ喜兵衛再ビ |一、右喜兵衛重而被 召出、御腰物壱腰被遣候、左候而、御感状被遣候事、
召出サレ刀感状ヲ |
給ウ       |
         |     (高瀬) (鳬)
鷹師鳬ヲ上グ   |一、御鷹師勘兵衛、けりを壱つ、右馬ケ岳にて取せ申候由にて、持せ差越候、則玄知ニ持せ、当番ノ衆
         |  ニ渡候へと申付、遣候也、
  

 

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